「忙しい」という言葉がなんとなく好きじゃない理由
皆さん、「忙しい」は好きですか?
忙しく動いている方が楽しくて好きという人もいれば、忙しいと疲れるから好きじゃない人もいると思います。
僕はゆったり穏やか派なので「忙しい」はあんまり好きじゃないです。ポケーっとしてたいです(笑)
「忙しい」という言葉をあんまり使いたくないんですよね。実際忙しかったとしてもなんか言いたくないし、「お忙しいところすみません」って言われると「お忙しくないよ」って返したくなります。
今回はなぜ僕が「忙しい」があんまり好きではないのかを、少し深ぼってお話ししていきたいと思います。今回は完全に主観の一人語りブログなので、「そんな考えもあるんだな」程度に、ゆったりとお楽しみください。
まず、自分にとって「忙しい」ってあんまり楽しそうじゃないんですよね。例えば旅行で行きたいところがたくさんあって、予定パンパンで動いてる時は「忙しい」って言わないですよね。楽しくて、やりたいことに没頭して物事に取り組んでいる時は「忙しい」をあまり使わないと思うんです。
ではどんな時に「忙しい」を使うか。いろんなところから仕事が舞い込んできてタスクが溢れている時、人からの誘いが次々に重なっている時、などでしょうか。
「忙しい」には「自分が主体的に選択していないことで時間が埋められている」というニュアンスが含まれていると感じます。
時間の使い方とはつまり、人生の使い方です。
自分が何に時間を投下したいのかもわからず人からの期待ばかりに答えて、時間というコップに他人の飲み物たちが無造作に注がれている。「忙しい」とはそんなカオスな状態に見えてしまうんです。
時間のコップに、自分の好きな飲み物を入れた方が良くないですか?
やりたいことが明確になっていないと、たちまち自分の時間が他の人に侵食されていきます。気づいた時には自己犠牲の「忙しい」になってしまうかも…。
忙しいなんて言葉を使うのを忘れるくらい没頭できるやりたいことに、時間を使っていきたいものです。
そして、「忙しい」の言葉が使われている時、大抵物事の優先順位が不明確なことが多いように思います。
・仕事の残業が続いてる
・役所に行かなきゃ
・家事も溜まってる
・LINEの返信も溜まってる
何が大事で、何が捨てても良いことでしょうか。あれもこれもと全てを取ろうとした結果、何一つ得られていないことってあると思います。
時間をじっくり使いたいことを主体的に選択し、それ以外のものは勇気を出して捨てる。そうやってシンプルな状態を保つことが、自分にとって心地よい状態です。
「忙しい」よりも「充実してる」と言いたくなる時間の使い方をしていきたいです。
参考:エッセンシャル思考
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