酒は百薬の長?
僕は普段は全くお酒を飲みません。
理由は色々あって、病気の事を気にしてというのが今は1番ですけども、子どもが生まれてから、万が一夜に急に子どもが体調崩した時に車で病院に連れて行けるように備えてっていうのもひとつのキッカケで、それから普段は全く飲まなくなりましたし、別にそれは全然苦痛では無く、飲まなくても大丈夫な人間です。
ただ、それでと時折なんと無くお酒が飲みたい気分の時があって、頻度で言えば月に1回行くか行かないか程度「なんかめっちゃ飲みたいな〜。」って思った時に、それで翌日が休みとかの時だけ近所のバーに1人で行って、ハイボールを2〜3杯ぐらい飲むのをたまの贅沢として、趣味というか自分なりのガス抜きにしています。
1人でバー行っても、別にカッコ良くも無いし全く出会いも無いのに「なんでみんなわざわざ高い金出してバーなんて行くんや?」って前は思ってましたけど、今はその時間と空間が、現実逃避出来る僕の居場所の1つになったので、昨日も久しぶりに行きました。
地元の普通のバー。ラフな格好で行けるところ。突き出しにサンドイッチが出て、オリジナルハイボールが600円。それを2杯。あとは贅沢してミックスピザを食べてお会計は3,200円。僕には頻繁に行ける金額では無いですけど、僕の事を覚えてくれているマスターと2人だけの閉店間際の店内で、他愛も無い雑談と、少し愚痴を聞いてもらってデトックスした感覚です。「これがほんまのお酒の楽しみ方なんかな〜。」なんて思ったりしました。
ただ、お酒をこうして嗜めるようになったのはわりと最近で、それまでは泥酔するまで飲んだり、女の子を口説く為に飲んで飲ませてみたいな事ばっかりしてました、、、。
だから、やらかした事はあまりにも多いです。
社会人になりたての頃や、結婚するまでは飲み会とあらば参加して、それこそ毎回絵に描いたような酔っ払いになり、色々な人にご迷惑をおかけしました。特に親友の1人とはよく飲みに行って、そいつにスナックに連れて行ってもらった時には、ベロベロになって声をあげて泣きまくったり。
先輩に初めてニューハーフの方のお店に連れて行ってもらった際には何回も「ほんまにチ○チ○もう付いて無いんですか??」と何回も同じ事聞いて、不愉快な思いさせたり。
ほんま、もう人としてダメですね。
そもそも僕が、お酒を飲み始めたのは大学のラグビー部の飲み会がキッカケでした。
イメージ通りの体育会系の飲み会です。
先輩が後輩に飲ませる。酔い潰れた屍がいくつも出来上がります。その内の1人に毎回僕はなっていました。可愛がられてたんですね。笑
定期的にラグビー部では飲み会があり、新入生歓迎会や学園祭、夏の合宿の打ち上げに、忘年会やら先輩方の卒業祝い。全てにおいて、僕はよくアルコール中毒にならんかったな〜と思うぐらいベロベロになりました。
今では良い思い出であると共に、トラウマでもあるその飲み会。同じく下戸の同期とよく、酒が好きでは無い先輩の近くの席を取り合いしてましたが、結局僕はいつも呼ばれて、ラーメン丼に粗悪な酒を注がれたり、ベロベロになって嘔吐して屍になろうとしたら「吐いてきたけ?ほなまた飲めるやんけ!」とギブアップも許されなかったり、そんな飲み方をするうちのラグビー部の行きつけの京都の居酒屋は、僕らが行くと露骨に店員さん達が嫌がっていたのも覚えています。飲み放題で、瓶ビールがなかなか来ないと「お前ちょっと厨房からもらって来てや。」なんて言われて、厨房まで貰いに行って、店員さんにはそこでも嫌な顔をされて、瓶ビール数本持って先輩方の席に戻ると、それを先輩では無く後輩が飲む事になるという感じで、当然宴会用の座敷にも、屍がいくつも出来上がっていました。
そこで僕は、間違えた酒の飲み方を覚えてしまい、体質的には下戸なのですが飲み慣れたせいで、ぼちぼちお酒が飲めるようになってしまったのです。
そんな訳で色々やらかしました。
学園祭では、昼から飲んでいて夜のステージに全裸で出演してゼミの友達から距離を置かれたり、学内での飲み会で歩けなくなるまで泥酔した僕を同期が、何故かそのへんにあった買い物用のカートに僕を乗せて運んでくれたり、先輩の卒業祝いの時は、その先輩と僕はほぼ面識の無いOBと3人で飲みに行かせて頂き、生ビールを8杯程ご厚意で飲ませて頂き、気がついた時には卒業される先輩の一人暮らしの部屋で寝ていたり。
色々ありました。
ただ、泥酔してほんまに今でも心から後悔している事が1つだけあります。これは恐らく妻も僕も一生忘れないと思います。
僕のオカンがまだ、認知症になる前におばぁちゃんが亡くなって、お葬式の為に地元に帰りたいから連れて帰って欲しいと言われて、僕もオカンへの最後の親孝行ぐらいの気持ちで、オカンの地元の高知県に行く事になりました。
その時に「多分もうこれで今後行く事も無いやろな。」と思ったので、当時もう結婚していたので、親戚に妻を紹介したいと思い、妻にも一緒に来て欲しいとお願いして、僕とオカンと妻とで高知のオカンの地元、親戚の家に久しぶりに帰った事がありました。
お葬式そのものは、おばぁちゃんも90歳を超えて最期まで自宅で生活しての老衰やった事もあり、さほど悲しい雰囲気でも無くむしろほんまにお別れの儀式って感じで終わりました。そして、その夜に僕を昔から可愛がってくれているおっちゃんが「おぅ!よ〜来てくれたのぅ!ほんにまっこと嬉しい!!おいちゃんはな、普段はもう酒飲まへんのやけんどよ、おまんが結婚して嫁さんまで連れて来てくれたっちゅうのがほんまに嬉しいんよ!!今日はなとことん飲むろ!!」と、土佐の飲み会が始まりました。
僕も気持ち良く、飲んでは注がれ飲んでは注がれを繰り返していたのでどれだけ飲んだほんまに覚えていません。ただ、途中記憶は曖昧になりましたが、その席で日頃の妻への溜まっていた鬱憤を爆発させてしまったのでした。
僕は、僕の親戚が集まっている宴会の場で、居心地悪いにも関わらず、そんな素振りも見せずに気を遣ってくれている妻に対して、普段溜め込んでいた愚痴やら暴言をボロクソに吐きまくって泣かせてしまいました。
なんと無く覚えています。
翌日、目が覚めると妻から切ない顔で「あんた昨日の事覚えてる?」と二日酔いの寝起きの僕は聞かれました。ハッキリとでは無いものの、すぐにそれは妻をボロクソに罵った事やなと思い出しましたが「覚えてへん。」と答えました。妻は当然めちゃくちゃにショックを受けており、僕もめちゃくちゃ反省しましたが、もう後の祭りです。
その後、大人な妻は表面上は普段通りに接してくれましたが、内心では許せない記憶の1つとして今でも残っているはずです。
僕がお願いして、わざわざ高知まで付いて来てもらった挙句に、知り合いのいないアウェイの親戚の集まりで、大声で旦那に罵声を浴びせられたのですから。それを理由に離婚にまで発展してもおかしく無いレベルのアルハラです。
これはほんまに今でも人生においてもトップクラスに後悔しているやらかしです。
それをキッカケに僕は禁酒をしました。
そして、その後に子どもが生まれて更に飲む理由も無くなり、今でもお酒は基本的に飲まなくなったので、一応禁酒まではいかないものの、お酒を飲まない生活は苦も無く続けれています。
ただ、どれだけ時間が経っても僕のあの日の暴言を妻は一生忘れないでしょうし、僕も同じく忘れられません。後悔と謝罪しか無い記憶です。
ただ、適切に楽しむお酒は良いものやと、あれから約8年近く経って、最近ようやく思えるようになりました。ただ、もう2度と同じ過ちを起こさないようにと心から思います。