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統合哲学者と名乗ってみる。
哲学ってなに?
哲学者ってなにする人?
「哲学」を分かってないのに
私は「統合哲学者」を名乗り始めます。
世の中、名乗ってみるとかやってみるとか、
ハッタリってすごく大事だと思うんです。
世の中のフォトグラファーさんとか作家さんとか
売れてる有名な人はほんの一部で
趣味感覚や暇つぶし程度でやっていても
名乗っている人もたくさんいると思うから。
SNSの普及で、それもすごく
軽やかにできるようになって
私はすごく嬉しいし、
良い時代になったなと思います。
SNSで見た切り抜き動画で
モデルの冨永愛さんも、
パリコレモデルをスタートしたころ、
当時はまだアジア人への蔑まれがあって
それを切り抜けたのは
「自信があるフリ、似合うフリ」
だったと言っていました。
私も今思えば、たった30年ちょっとの人生ですが
「できるフリ」で乗り切ってきたところがあります。
できるフリしてるつもりないけど
どこにいても「できる人」という見られ方、
レッテルを貼られてしまうんです。
それが、初めて参加する場であっても。
「できる人」
=「自信があるように見える人」
=「オドオドしてない人」
だとしたら、私はそういう人。
和太鼓やさまざまな場面で
たくさんの場数を踏んできたので
初めての場所でもあまり物怖じしません。
それが自信があるように
見えてしまうのでしょう。
ありがたいですが、
予想以上に期待をかけられてしまう時もあって
自分の首を絞めてしまうこともあるので
困りものです。
でも、自ら「なりたいレッテル」を
先に貼るのはとてもいいなと思います。
「定時に帰る人間です」レッテル
「言いたいこと言う人」レッテル
「自由人」レッテル
そうすると周りが、「この人はそういう人」
と自分の望むようにカテゴライズしてくれるので
楽になります。
自分と合わない人が
自動的に自分の周りから
消えてくれますしね(笑)
さて、話は戻りまして
なんで「統合哲学者」を名乗るのかといいますと
視えるようになったとき
それがパッと頭に入ってきたから。
この「視える」については
こちらの記事をどうぞ。
哲学とは、そして哲学者とは何か
をわかってないのに
なぜか浮かんだのが「哲学者」でした。
哲学といえば、
孔子やカント、マルクスなどの人物が
名言を残すというのが私のイメージ。
哲学の意味をネットで調べてみると
「生活の中で疑問に感じたことや
身の回りにある問題について
自分なりの″問い″を立てながら
こだわって考えを突き詰めていく学問のこと。」
だそうです。
うーん、何とも抽象的。
でも、この哲学の意味を
わたしなりに簡単に言い直すと
「お悩み解決」
なのではないかと思いました。
哲学の意味をそのまま受け取ると
そんなこと自分1人でもできそうな気がしますが
コレが案外難しいもの。
人って、基本的に自分自身を
客観的に見れない生き物ですし
客観的に見れたとして那由多ある状況を
全て把握できないので
考え方が偏ってしまう。
そして知り合いの1人が
「哲学という学問が好き」
と言うんですが、その理由が
「正解の答えがなく、授業の時間まるまる
1つのテーマをみんなで
語り合う時間だったから」
なんだそうです。
インターネットが普及してから
日本は言葉があるのに
会話や口にして伝えることが
減ってしまったように感じます。
文字で打つよりも、口で話すほうが
早いし理解度も高いのに。
だからわたしは「統合哲学者」になって
気軽な哲学の時間を作れたらと思っています。
頭に「統合」をつけたのは
私が東洋医学と出会い、
西洋と東洋の医学を合わせた
「統合医療」にも興味があることと
このどっちにも偏っていない感じが好きだから。
加えて、私がみんなに視えないものが視えつつ
それをロジカルに分かりやすく
説明できるのが論理とスピリチュアルの
統合だと思ったからです。
あと自分の経験から
薬を使わないメンタルケアにも
繋がるのかな?と思っています。
これからどうぞ
「統合哲学者」として
よろしくお願いいたします。