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【東大世界史】1950年解答の指針と答案例

 このノートは、「東大世界史宝箱」の1950年(解答の指針と答案例)のページです。問題はこちらからご覧ください。
 また、ノートの性質上、空欄を括弧で代用したり、下線や枠を太文字での強調で代用したりしている場合があります。
 なお、東京大学は、解答・解説を公表しておりません。

 1950年は、東大世界史がはじまった年です。大問は4つ。かなり基礎的な内容が多いため、高得点を狙いたいところです。

解答の指針(第1問)

 (a)と(b)は、語句の中に時期を表すものが、五世紀、七世紀、九世紀しかないので、解きやすいはずです。文章をみると、あきらかにイスラームの話があるので、㉙七世紀⑳九世紀を容易に選べます(イスラームが誕生したのは七世紀です!)。時代の概観をつかみたい方は、東西が輝く時代(7、8世紀)のノートを読んでみてください!

 (c)は、㉕唐と答えたいところ。隋唐帝国で覚えていた人も、隋の選択肢がないことから、唐と選べたはずです。

 (d)と(e)は唐の文化の特徴を答える問題。候補となる選択肢は、貴族的、庶民的、民族的、国際的の4つです。唐の都「長安」が国際都市であったことは、説明不要でしょう。ゾロアスター教、イスラーム、マニ教、ネストリウス派キリスト教(景教)の寺院がたてられたことも有名です。㉑国際的を選びましょう。
 次に貴族的か庶民的か選ぶ必要があります。ここは、宋との対比でおさえている方も多いでしょう。宋は庶民的な文化が栄えたのに対し、唐は貴族的な文化が栄えたのでした。この裏には、唐で力をもっていた貴族が、宋の時代には没落をしていた、という事情があります。ここは⑧貴族的を選びましょう。

 (f)と(g)は、唐の文化が伝わった、周辺の国を選ぶ問題です。朝鮮、南詔、台湾などが候補でしょう。まず、①朝鮮は比較的簡単に選べると思います。新羅は唐の律令制を取り入れました。次に、南詔か台湾かを選ばなければいけません。台湾に漢民族が移住しはじめるのは、主に明以降です。それまでは独自の文化を育んでいたのです。
 せこい解き方をしてしまうと、唐を学習したときに台湾なんて単語は一切聞いていない!でも南詔はよく聞く!だから南詔が答えだ! でいけるのですが、南詔のお話も確認しましょう。南詔も新羅同様、唐の冊封国でした。漢字など、唐の文化をとり入れた国でしたので、もう一つの答えは⑬南詔を選びましょう。

 (h)と(i)は、小中学校の「歴史」でも習った人は多いはずです。日本に関する言葉は正倉院だけですので、(h)は⑥正倉院でしょう。正倉院には、ペルシアからもたらされたものがたくさんおさめられています。「瑠璃の坏(青色のグラス)」や「白瑠璃碗(白色のガラスのお碗)」、ペルシアじゅうたんなど有名でしょう。ペルシアの王朝はササン朝ですから、ここは⑭ササン朝を選択します。

 (j)は先ほども述べたとおり⑫イスラムです。(k)と(l)は「○○の下で」とあるので、イスラーム世界をおさめた王朝を答えます。順に⑰ウマヤ王朝(ウマイヤ朝)、⑤アッバス王朝(アッバース朝)ですね。他に王朝の語句はササン朝だけですが、これはイスラーム王朝ではないので違います。(m)と(n)は地名ですね。イスラーム世界の西側の地名なので、㉗アフリカ⑯イベリア半島を答えましょう。他に間違えるとしたらギリシアでしょうか。ギリシア、小アジアには当時ビザンツ帝国が繁栄しており、この時点では不適当でしょう。

 (o)は⑦ギリシアです。イスラームは、ヘレニズム文化などを受け継いでそれをさらに発展させ、西ヨーロッパに様々な文化を伝えました。12世紀ルネサンスなど、有名でしょう。(p)はその文脈の話で、⑮コルドヴァを選びます。後ウマイヤ朝(ウマイヤ朝の残存勢力がイベリア半島に建てた国家)の首都です。コルドバは、何度も出題されており、1951年第2問、1959年第3問、1963年第3問、2020年第3問などで問われています。1999年第1問では指定語句にもなっています。

 (q)はヨーロッパの文脈で、これは②ルネッサンスでしょう。「新しい文化を創造」というと随分語弊があるような気がしますが、当時はこのような認識だったのですね。(r)は㉖中世ですね。他に迷う選択肢もないでしょう。

 (s)と(t)は、二大中心地ですから、唐帝国の中心地とイスラーム世界の中心地を答えるわけです。唐帝国の首都は③長安、アッバース朝の首都は㉚バグダッドです!

解答の指針(第2問)

 言語の問題です。意外と盲点となっている受験生も多いかもしれません。文字や言語、暦などは、一度自分でまとめてみるといいと思います!

 まずは、ゲルマン諸語とロマンス諸語で分けられるでしょう。ゲルマン諸語は英語とドイツ語、ロマンス諸語はフランス語とイタリア語ですので、最初の4つはこれを答えます。ロシア語はスラヴ諸語なので仲間外れです。

 大きなまとまりとして、これらはインド・ヨーロッパ語族に属します。アジアの方面では、イラン語派やインド語派などが有名でしょう。(e)はウルドゥー語やヒンディー語でもOKだとは思いますが、古代から話されているサンスクリット語を選ぶのが安全だと思います。

 (f)はセム語族ですね。(g)はヘブライ語です。なお、新約聖書はギリシア語(コイネー)で書かれています。ギリシア語はインド・ヨーロッパ語族ですね!

 (h)ですが、アルタイ語族には、主にテュルク語族、モンゴル語族、ツングース語族があります。ですので、トルコかツングースを答えましょう。

 (i)はシナ・チベット語族の話です。語族の名前に「シナ」とあるので、中国語を答えるのが安全ですが、ビルマ語などでもOKでしょう。(j)は日本語か韓国・朝鮮語でしょう。ただし、「訓民正音」登場以前の韓国・朝鮮語はあまり史料が多くないということなので、答えるなら日本語が安全でしょう。

解答の指針(第3問)

 この大問は抽象的な問題が多く、現在出題されていたら物議をかもすであろうものも多いです。あまりまじめに解く必要はないと考えています。

 ①は○です。中国の封建制とヨーロッパの封建制(フューダリズム)が異なっていることは、頻出テーマです。1986年第3問は、その相違について説明する問題がでています。

 ②は×です。「北方」というのはヨーロッパ目線なのでしょうか。中央ユーラシア世界のことを指すものでしょう。東アジア世界にも鮮卑や匈奴などの遊牧民が侵入して分裂の時代となっています。

 ③は×です。西洋にかんしては正しいのですが、日本は少し時期が違うといえるでしょう。そもそも問題文があいまい(「都市」と「活躍」の定義もよくわからない)なので、参考程度でいいかと思います。日本は当時、たしかに各地に市ができて都市の勃興は起きていますが、「政治的自由を獲得するために活躍をはじめた」とはいいづらい状況です。自立的・自治的な「惣」が各地に広まるのは、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけてです。地下検断とよばれる地方自治が特徴でした。

 ④は○です。ロックは、名誉革命を擁護して革命権、抵抗権を唱えました。その思想はアメリカ独立宣言やフランス人権宣言に受け継がれています。

 ⑤は×でしょう。「大きな影響をあたえた」という点では、太平天国があるので、間違いとも言い切れません。ただ、「中国にうけいれられ」てはいないので×と判断しました。雍正帝はキリスト教布教を全面禁止しています。

 ⑥は○です。ロシア革命は五・四運動などの民族運動に影響をあたえ、民族運動の高まりをうけて中国国民党が結成されました。さらに中国国民党は、コミンテルンの働きかけにより、中国共産党と協力しました(第一次国共合作)。

 ⑦は×です。日本を考えるとすぐにわかるでしょう。日本は満州に侵略し、国際連盟から日本軍の撤退勧告をうけましたね。

 ⑧は悩ましい問題です。ここでは×としておきます。中国はたしかに漢民族が中心でしたが、中央ユーラシア世界との交渉は無視できません。隋唐は鮮卑系と漢民族がミックスしたような王朝で、「拓跋国家」とよばれます。宋代では南方の開発がすすみ、華北と江南の人口が逆転しました(文明の中心が移動したといってよいでしょう)。元はモンゴルが、清は満州族が支配層でした。インドもムガル帝国は住民の大多数がヒンドゥー教徒なのに対し、支配層はムスリムでした。両者とも社会が停滞していたとは必ずしもいえないので、ここは×とします。

 ⑨も悩ましいですが、○としておきます。「本質的な融合」がなんたるかは分かりませんが、ヒンドゥー教徒は南アジア世界の多数を占める一方、東アジア世界には少ないです。逆に、南アジア世界には儒教・仏教・道教はあまり浸透していません。

 ⑩は○です。飛鳥文化はヘレニズムの影響をうけていました。法隆寺の柱の一部には、中央部が膨らんだエンタシスというギリシア建築の特徴がみられます。

解答の指針(第4問)

 「地理上の発見」というのは、いわゆる「大航海時代」のことです。アメリカ大陸を「発見」したことを指しています。

 (a)~(h)は日本史と世界史をあわせて考える問題ですね。(i)がオランダ(人)であることを考えると、スペイン・ポルトガルの話だと分かります。1543年のポルトガル人による鉄砲伝来と、1549年のスペイン人(フランシスコ・ザビエル)によるキリスト教伝来は中学の社会でも習う範囲でしょう。(d)が「国内の形勢を転換させる一原因」となったというので、鉄砲伝来の文脈と判断し、㉓戦術の変革を選びます。

 鉄砲伝来の文脈とわかったので、(a)は⑦ポルトガル人です。ポルトガルは、ディウ、ゴア、マラッカなどを拠点としました。このうち選択肢にあるのはゴアだけなので、(b)は⑧ゴアです(マカオの居住権を得たのは1557年ですので、ゴアを選ぶべきでしょう)。(c)はもちろん⑱鉄砲、(d)は上に述べたように㉓戦術の変革です。

 次にキリスト教伝来の文脈について確認します。(e)は上で確認した通り①イスパニア人です。スペインが拠点としたのはマニラですから、(f)は⑫マニラを選びます。ただし、マニラ建設は1571年なので時系列が逆になってしまうため、疑問が残ります。それでも他の選択肢はありえないため、マニラを選ばざるを得ません。(g)は㉑天主教です。天主教というのは、東アジアでのローマ・カトリックの呼称です。(h)は㉚鎖国でしょう。「鎖国」の理由としては、キリスト教の禁教政策と、幕府が貿易独占を図ったことがあげられます。

 (i)は上でも述べたように④オランダ人です。(j)は、「鎖国」の状態になった年でしょう。何年をもって「鎖国」とするかは意見が分かれそうですが、17世紀の年は㉖1639しかないため、こちらを選べるはずです。

 (k)は7年戦争に勝ったという文脈から③イギリス人を選びます(七年戦争はプロイセンとオーストリアの戦争ですが、その裏でイギリスとフランスが戦っており、アメリカとインドでも戦火を交えています)。一方敗れた(l)は⑥フランス人ですね。(m)は、アメリカとインドが候補ですが、選択肢にアメリカがないため、⑩インドを選べます。

 (o)の貿易が厳禁され、戦争となったと分かるので、アヘン戦争の文脈と判断します。(n)は清の地名でしょう。というのも(p)に⑳清朝がくるので、(n)は「清朝」ではなく地名と判断できるからです。当時、清朝はヨーロッパの貿易を広州一港に限定していますから、⑨広東を選べるでしょう。

 アヘン戦争の文脈ですから、(o)は㉙アヘンを選びます。(p)は上で述べたように⑳清朝、(q)はその講和条約である⑬南京条約を選びます。イギリスは南京条約で、広州以外にも4港の開港を認めさせ、自由貿易をおしつけました。その年は㉗1842です。単独で暗記する価値のある年号ですが、そのあとの「11年後」というヒントからも選べます。

 最後はまとめのような文章です。アメリカ合衆国の日本に対する圧力と、イギリスの清に対する圧力とをまとめましょう。(s)と(t)は⑯ペリーの来朝⑰アヘン戦争を選びます。

答案例

第1問
a29、 b20、 c25、 d8、 e21、 f1、 g13、 h6、 i14、 j12、 k17、 l5、 m27、 n16、 o7、 p15、 q2、 r26、 s3、 t30

第2問
a英 bドイツ cフランス dイタリー eサンスクリット fセム gヘブライ hトルコ i中国 j日本

第3問
①○、 ②×、 ③×、 ④○、 ⑤×、 ⑥○、 ⑦×、 ⑧×、 ⑨○、 ⑩○

第4問
a7、 b8、 c18、 d23、 e1、 f12、 g21、 h30、 i4、 j26、 k3、 l6、 m10、 n9、 o29、 p20、 q13、 r27、 s16、 t17


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