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東大生ラッパーと大雑把につかむ世界史【第15章】

 こんにちは!東大生ラッパーの法念です。前回は「第14章」で「帝国主義の時代」の話をしました。(目次はこちら
 今回は、「第一次世界大戦(とその前後の時代)」の様子をみていきます。ではいきましょう。

第一次世界大戦

 前回、帝国主義の時代に、イギリスやフランスをはじめ、ヨーロッパ諸国がアジア・アフリカに進出したお話をしました。その進出は、列強(そういった、植民地獲得競争に乗り出すような大国のこと)同士の競争、そして衝突をもたらしました。おおまかにいってしまえば、その衝突によっておこったのが第一次世界大戦なのです。

 具体的には、植民地獲得におくれをとったドイツが、強引に勢力を拡大しようとしたことで、衝突がおきました。その際、ドイツ帝国、オーストリア帝国、オスマン帝国、(ほかにブルガリアなど)が手を組みました。これを同盟国といいます。対するは、ロシア帝国、フランス、イギリスなどの連合国です。

 同盟国がこのように結ばれた背景には、実に複雑な背景がありますが、ここでは簡単に、次のように説明をしておきます。19世紀、オスマン帝国が衰退するなかで、ロシア帝国の南下政策はヨーロッパの方にも迫っていました。これに対抗するためにドイツ帝国とオーストリア帝国は手を結びます。オスマン帝国もロシア帝国が最大の敵だとして、ドイツ帝国とオーストリア帝国と手を結ぶわけです。

 アメリカ合衆国は途中までは中立でしたが、口実をみつけて、ある意味お金儲けのために連合国側として参戦しました。これもあり、結果として連合国側が勝利、同盟国側が敗北しました。

 第一次世界大戦ですが、それぞれの帝国主義国が、植民地からも人やモノを動員して戦いました。そのため、(地球)世界中がまきこまれた、ということで「世界大戦」というのです。

 また、19世紀までは、国は国王の持ち主でした。そのため、戦争といえば国王と、その下についている兵士が勝手に行うものでした。しかし「国民国家」が成立して、国の持ち主は国民になりましたね。そのため、戦争となると、国民全員が何らかの形で関わらざるを得なくなってしまいます。これを総力戦といいます。

 さらに、毒ガスや戦車といった新たな兵器も導入され、被害もとても大きくなりました。

帝国の解体

 第一次世界大戦とその前後の時期は、それぞれの世界がもっていた「くにの形」が終わりをむかえる時期でもありました。それまでの伝統を受け継ぐ帝国が解体したのです。各々の世界の「くにの形」は第5章でお話をしています。怪しい人は確認しておきましょう!

 東アジア世界は、中華帝国の伝統を受け継ぐ帝国でした。しかし半植民地化が進み、朝貢(周辺国が家来となって貢物をささげること)と冊封(皇帝が大量のお返しを与えて、支配を任せる、という形をとること)の関係もなくなっていきます。周辺国が、植民地になったり、独立した「主権国家」になったりしたからです。「主権国家」は対等な関係が前提ですから、家来と主人という伝統的な関係から抜け出すわけです。
 こうして、朝貢をする国もなくなり、ついに1911年に革命がおきます。1912年に最後の皇帝が退位し、清は滅亡、中華民国という新しい国ができました。

 東ヨーロッパ世界ロシア帝国は、(東)ローマ帝国、ビザンツ帝国の後継を自称する帝国でした。第一次世界大戦がはじまり、国民の生活はとても苦しくなりました。そこで帝国を倒そうとする革命が起きるのです。この革命は、史上初の社会主義革命といわれます。社会主義というのは、簡単にいうと、国家が経済を管理して、国民に平等にお給料を払うべきだ、という考え方です。
 ロシア帝国が崩壊し、ソヴィエト政権が権力を握ります。やがて、社会主義国であるソ連という国ができました。なお、ロシアは戦争中に革命があったため、戦線を離脱しています。

 西ヨーロッパ世界には、オーストリア帝国ドイツ帝国がありましたね。いずれも(西)ローマ帝国を意識しているわけです。これらの帝国は、敗戦とほぼ時を同じくして解体します。それぞれ領土を減らして、オーストリア共和国ドイツ共和国になりました。

 イスラーム世界オスマン帝国がリーダー的な存在でした。カリフとよばれるリーダーを握っている(としている)からですね。しかし、敗戦をきっかけにオスマン帝国は解体し、カリフ制そのものも廃止してしまいました。イスラーム世界を理念の上でまとめる存在もいなくなり、トルコ共和国という小さな主権国家があとには残りました。

2020年04月23日22時11分13秒_page-0001

第一次世界大戦の後

 さて、一次大戦を通じて、主な戦場となったヨーロッパはかなり疲れてしまいます。一方、戦場とならずにお金儲けだけできたアメリカ合衆国は、戦後イギリスにかわる世界一の大国となっていきます。

 一方、新しくできたソヴィエト政権も、国際社会で主導権を握ろうと考えます。そこで、アジアやアフリカの植民地を味方につけようと、「民族自決」というものを唱えます。それぞれの民族が自分たちのことを決められるようにすべきだ! という意味です。アジアやアフリカにも「国民国家」を作るべきだ、ということですね。

 アメリカ合衆国も、ソヴィエト政権に対抗して同じように「民族自決」を唱えます。ソヴィエト政権が主導権を握ってしまうのでは、と考えて焦ったわけですね。アメリカ合衆国は、ほとんど植民地を持っていなかったため、このようなことを言えるわけです。

 一方、イギリスとフランスを中心にヨーロッパの国々は協調(なかよく)していきます。それまで、戦争はある意味「国の権利」であったわけですが、戦争そのものがダメである、というルール作りを進めていきます。平和を守っていこう! という流れなのですね。しかし、これは帝国主義の体制を守ったうえでの(守るための)協調なのです。

 イギリスとフランスは、アジアやアフリカの植民地は維持したまま、「民族自決」をヨーロッパにだけ適用します。つまり、ロシア帝国、ドイツ帝国、オーストリア帝国が解体し、それぞれ領土を減らした部分には、そこに住んでいる民族がそれぞれの国民国家を作ることを認めました。そのため、第一次世界大戦後、ヨーロッパにはたくさんの国が誕生しました。

 オスマン帝国のヨーロッパにおける領土にも、国民国家ができますが、アジアの領土は、イギリスとフランスがそのほとんどを支配することになりました。

 このように、アメリカ合衆国やソ連が帝国主義に反対して、新しい勢力として台頭してきた一方、イギリスとフランスはかなり疲れてはいますが、なんとかアジアとアフリカの植民地体制を守った、というのが大きな流れです。ただし、特にアジアでは民族運動が活発になっていきます。第一次世界大戦は、帝国主義の終わりのはじまり、といったところでしょうか。

 今回は以上になります。アメリカ合衆国がイギリスにかわる大国となり、ソヴィエト政権も「民族自決」を唱えて主導権を握ろうとがんばったこと。合衆国も負けじと「民族自決」を唱えるが、イギリスとフランスはなんとか植民地体制を守ったこと。各世界の理念を受け継ぐ帝国がのきなみ解体し、主権国家体制という一つのシステムが地球を覆い始める大きな一歩となったこと。これらをおさえておきましょう!
 では、最後に「第一次世界大戦の時代」の復習ラップを聴いて復習しましょう!
https://youtu.be/43FHo493ams

 次回、第16章は、協調がくずれて、再び戦争に突入してしまう「第二次世界大戦」を見ていきますよ! お楽しみに! 


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