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【東大世界史】1951年解答の指針と答案例

 このノートは、「東大世界史宝箱」の1951年(解答の指針と答案例)のページです。問題はこちらからご覧ください。
 また、ノートの性質上、空欄を括弧で代用したり、下線や枠を太文字での強調で代用したりしている場合があります。
 なお、東京大学は、解答・解説を公表しておりません。

 1951年は、東大世界史がはじまって次の年です。この年まで、西洋史と東洋史も出題されていました。大問はこの年から3つでほぼ安定します。この年もかなり基礎的な内容が多いため、高得点を狙いたいところです。

解答の指針(第1問)

 参考までに、後期日程2010年総合科目Ⅲでは、ヘロドトスと司馬遷を対比し、中国とギリシアの精神を比較した文章が出題されています。もしよければ確認してみてください。

 (1)~(3)について。ギリシアの歴史家といったら、ヘロドトストゥキディデスを思いだしたいところです。ヘロドトスはペルシア戦争を「物語的」に書き、トゥキディデスはペロポネソス戦争を「科学的(客観的)」に書きました。この対比は抑えておきましょう。

 (4)~(6)について。オリエント世界の文明といったら、エジプト文明メソポタミア文明でしょう。(6)は旧約聖書の作り手なのでしょうが、誰か一人によって書かれたわけではないので、ヘブライ人としておきます。ユダヤ人でもOKでしょう。

 (7)はインドの讃歌集です。ヴェーダでよいと思います。具体例なので、リグ・ヴェーダなどでも大丈夫でしょう。なお、「リグ」は「讃歌」を意味しています。

 (8)は史記の書き手ですから、司馬遷と答えます。紀伝体であらわされています(ちなみに『史記』の「し」は司馬遷の頭文字、「き」は紀伝体の頭文字、として覚えています)。(9)は『漢書』で、同じく紀伝体であらわされています。1963年第1問では、逆に班固が問われていますよ。

 (10)は『日本書紀』です。六国史(りっこくし)は、『日本書紀』をはじめとする朝廷による「正史」をさします。

解答の指針(第2問)

 ①はヨーロッパ周辺の民族移動ですから、ゲルマンはすぐに答えられるでしょう。ゲルマンの大移動によって移動を余儀なくされたスラヴも答えたいところです。また、ウマイヤ朝が西ゴート王国を滅ぼすのが8世紀ですから、アラブも答えられるとよいと思います。
 「ローマ帝国の末期から前後数世紀」がどこまでを指すのかはわかりませんが、上の3つを思いつかなければ、ノルマン人やマジャール人(9世紀以降に移動)でも点数がくるかもしれません。ただし、時期がはやいもの3つを答えるのが安全ですので、思い出せれば上の3つを書くのがよいでしょう。
 アヴァール人やブルガール人は時期的にも早いため、OKだと思いますが、「代表的」かどうかは怪しいところがありますので、やはり安全策をとるなら上の3つでしょう。

 ②は基礎的な範囲でしょう。西ヨーロッパ世界と東ヨーロッパ世界とイスラーム世界です。1981年第1問や1995年第1問はまさにこのテーマの問題です。

 ③は、ヨーロッパの東西の都市で、二大文化圏の中心としてギリシア文化の伝統を保存したものを選びます。2005年第2問には「ビザンツ世界やイスラーム世界と異なり、中世の西ヨーロッパは古代ギリシアやヘレニズムの文明をほとんど継承しなかった。」という問題文があります。つまり、東ヨーロッパ世界とイスラーム世界の中心となる都市を選びたい。
 東ヨーロッパ世界はコンスタンティノープルでよいでしょう。一方イスラーム世界は迷うところですが、問題文に「ヨーロッパの東西」とあるので、イベリア半島で後ウマイヤ朝の首都であるコルドバを答えましょう。
 なお、コルドバは何度も出題されており、1950年第1問、1959年第3問、1963年第3問、2020年第3門などで問われています。1999年第1問では指定語句にもなっています。

 ④は東方貿易の文脈です。aはいわゆる「ムスリム商人」で習うものです。ムスリム商人の民族構成は多様でしょうが、ここでは初期のイスラームの担い手であるアラブ人と答えるのが安全でしょう。実際、ムスリム商人の往来で発展したアフリカ東岸は、アラビア語とバントゥー語が融合したスワヒリ語という言語が成立しています。
 bは東地中海です。ここは問題ないでしょう。

 ⑤は、中世西ヨーロッパの商業の問題です。まず、銀の生産地として(c)アウグスブルグを選べると思います。
 問題は(a)と(b)です。毛織物工業の中心といったら、フランドル地方と北イタリアですから、ブリュージュ(ブルッヘ)もフロレンス(フィレンツェ)も当てはまるわけです。そこで仕方なく、中継市場としての役割を比較します。よりアジアの物産をヨーロッパに仲介したのは、フロレンスでしょう(ルネサンスの財源は、仲介貿易と毛織物産業の発達で説明されることが多いです)。ですから、ここでは(a)がフロレンス、(b)がブリュージュを答案例としておきます。

 ⑥もあいまいな問題です。(c)は選べると思います。裕福な農民が出現し、お金を領主に渡して自由を手に入れるものもあらわれたようです。
 封建領主の没落の主な原因として、ほかにはいくつかの戦争により王権が伸長したこと、ペストで人口が減少し農民の地位が向上したこと、火器の登場で戦士としての騎士が不要になったこと、そして価格革命があげられます。
 ここの選択肢にはそのようなことはありませんので、一番安全そうなものを選ぶ必要があります。(a)は怪しいでしょう。ドイツやイタリアの都市は、都市同盟の抵抗がありつつもやがてほとんど領邦君主の支配下に入りました。
 (b)も微妙です。たしかに「都市の空気は自由にする」という言葉があるように、農奴は一定期間都市に住むと自由身分を得られるとされました。しかし、それであれば(d)でよいはずです。(b)の選択肢をよくみると「解放を促進」とあるので、どちらかというと領主に自由な思想が芽生えて農奴の解放を促進した、という選択肢のようです。そのようなことは少ないため、これも選びたくはありません。
 ここでは(d)を選ぶこととします。上のように、都市に逃亡した農奴もいたようです。14世紀の危機や、東方植民による新しい都市の誕生を背景に、農民が都市に流入する、といったことも少なからずあったようです。
参考:「農民は耕作地を放棄し、都市に流入して下層民となり、多くの村落が廃村となった。」(小田中直樹・帆刈浩之編(2017)『世界史―いま、ここから』山川出版社 122頁)

 ⑦は、アジアに進出した順番を考えると分かりやすいと思います。「大航海」では、ポルトガルが東まわりでアジアを目指し、直後にスペインが西まわりでアジアをめざしました。実際、(c)ゴアは1510年からポルトガルの拠点に、(d)マニラは1571年からスペインの拠点になっています。
 17世紀前半に覇権を握ったのはオランダでした。オランダは1619年から(a)バタビアを拠点にしています。
 イギリスとフランスも17世紀の危機に対応すべく、新大陸、そして南アジアに拠点を作ります。イギリスは、アンボイナ事件でオランダにより東南アジアから追い出されたことで、南アジアへの進出を強めたのでした。
 イギリスは1661年に(b)ボンベイを獲得します。その後フランスも負けじと南アジアに進出し、1673年にシャンデルナゴルを、1674年に(e)ポンディシェリーを獲得しました。

解答の指針(第3問)

 (1)は×です。1848年の革命により、第二共和政となったのち、1852年に第二帝政となっています。後半はあっています。

 (2)は○です。マルクスとエンゲルスによる『共産党宣言』は、1848年に発表されています。

 (3)は×でしょう。「軍国主義」以外はあっているのですが、「軍国主義」はこの時期はきわどいです。この時期はまだ自由主義的な統一の機運が盛り上がっていた時期であり、ビスマルクが1862年に首相となってから鉄血政策にもとづく「上からの統一」が行われました。

 (4)は×です。この時期はいわば「自由貿易帝国主義」の時代で、植民地は必要に迫られた場合をのぞき、最小限におさえる、という政策でした。だんだん他の列強が力をつけてくると、植民地政策強化に転換するようになりますが、1850年当時はその状態にはありません。

 (5)は×です。バルカン半島には、すでにギリシアが独立を達成していました。1829年のことです。

 (6)は○です。イギリスは南京条約で香港を獲得しています。ロシアはすでにベーリングが海峡をわたってアラスカを領有していました。アメリカに売却するのは1867年です。ロシアと清は1689年のネルチンスク条約で、黒竜江北岸は清領となっていました。それが、1858年のアイグン条約でロシア領となるのですが、この時点では清領ということになります。

 (7)はきわどいですが、×でしょう。洪秀全が挙兵し、「太平天国」建国宣言をしたのは1851年です。

 (8)は×です。この時点ではまだ東インド会社による支配でした。1857年にシパーヒーの乱があり、1858年に東インド会社は解散、インド統治法(インド統治改善法)によりイギリスの直接統治に改められました。インド帝国が成立するのは1877年のことです。

 (9)は○です。米墨戦争により、1848年にメキシコからカリフォルニアを獲得しています。

 (10)は×です。ペリー来航(浦賀沖)は、1853年です。

答案例

第1問
(1)ヘロドトス
(2)ペロポネソス
(3)トゥキディデス
(4)エジプト
(5)メソポタミア
(6)ヘブライ人(ユダヤ人)
(7)ヴェーダ
(8)司馬遷
(9)『漢書』
(10)『日本書紀』

第2問
①ゲルマン、スラヴ、アラブ
②西ヨーロッパ世界、東ヨーロッパ世界、イスラーム世界
③コンスタンティノープル、コルドバ
④aアラブ b東地中海
⑤aブリュージュ bフロレンス cアウグスブルグ
⑥cとd
⑦(c)ポルトガル (d)スペイン (a)オランダ (b)イギリス (e)フランス

第3問
(1)×
(2)○
(3)×
(4)×
(5)×
(6)○
(7)×
(8)×
(9)○
(10)×

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