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彼らの「孤独」とぼくらの「孤独」とは、静かな高原の観光地と、監獄ほどの違いがある。
孤独が世界的に問題となっています。
イギリスで世界初の「孤独担当大臣」が置かれ、日本でも坂本哲志氏が孤独担当大臣に任命されました。
一方で日本では同調社会、村社会だった反動なのか、孤独を肯定的にとらえる傾向が強く、著名人たちが「孤独」を賞賛するような本を多数出版しています。
孤独が人生を豊かにする
作者:中谷彰宏
あさ出版
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孤独になると結果が出せる
作者:茂木健一郎
廣済堂出版
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孤独のすすめ - 人生後半の生き方 (中公新書ラクレ)
作者:五木 寛之
中央公論新社
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そして、同時に「孤独」の何が悪いのか?中高年ほど「友達」なんて一人もいなくていい。という論調もあります。
世の中の成功者たちがそう言っているのだから、やっぱり友達なんて不要なんだ。多くの人たちがそう考えるのも、無理はありません。
実際に友達はいるが、その友達とうまくいっていない人、家族のしがらみに苦しんでいる人たちにとっては、「孤独」は甘美に響く言葉かも知れません。
しかし、そこには2つの罠が潜んでいます。
1つは成功者バイアスと呼ばれるものです。成功者だけが本を書き、成功者のコメントだけが大手ニュースサイトに掲載され、人々に届くということです。
孤独に苦しむ一般人々の声は、取り上げられることはめったにありません。そして、孤独を賞賛する成功者のカゲには、「孤独」に苦しむ普通の人々が数多くいるのです。
だからこそ、イギリス、日本の両政府は危機感をいだき、対策に乗り出したのです。
もう一つの罠は彼ら「成功者」は実際は「孤独」ではないということです。
著名な作家、著名な脚本家、著名な脳科学者などなど。彼らにとって「孤独」は、「一人になることを楽しんでいる時間」に過ぎません。
彼らにはひと声かければはせ参じる「編集者」や「後輩芸人」や「芸能関係者」が居ます。彼らは常に愛され、必要とされているのです。
つまり、家族や友人以外にも、いつでも話を聞いて貰える特別な存在です。彼らの話なら人々はお金を払っても聞きたがるでしょう。つまりそういう特殊な人々が「孤独」を賞賛しているのです。
彼らの「孤独」は、いつでも訪れて、いつでも離れられる観光地のような「孤独」なのです。
一方、我々一般人にとっての「孤独」はもっと陰惨なものです。誰かと話がしたくても、相手がいない。誰も自分のことを気にかけていない。
そして、それは脱出できないタイプの「孤独」です。今日も明日も、未来永劫死ぬまで続く(もしくはそのように思える)ものです。
だから我々は彼ら「著名人」「成功者」の言葉を鵜呑みにするのは危険なことなのです。
「独り」が楽だという人も多いです。その気持ちもわかります。しかし、一人では考えが固着していきます。
誰もが自分は正しいと考えています。自分で自分の考えをアップデートするのは難しいものです。「孤独」の中で、自分の正義が古びて、淀み、時に「自分は正しい、世のなかは間違っている」という「憎しみ」にまで転化することもあります。
問題を起こす「中高年」が多いのも、彼らの正義、古く固着した正義(例、お客様は神様、常に年長者は敬われるべき、男が先、女が後、など)が世間との軋轢を生んでいるのです。
家族でも、友人でも、ただの知り合いでも、人間関係には「波風」が付き物です。
しかし、その「波風」があなたの中の「正義」という池に新しい酸素を送り込み、あなたの池の透明度を少しだけ上げるのです。
繰り返しますが、著名人の「孤独」賞賛を鵜呑みにするのは危険です。彼らは我々とはまったく違う環境に生きているのです。
著名人の語る「孤独」と我々が陥る「孤独」とは、静かな高原の観光地と、監獄ほどの違いがあるのです。