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E1ビザ駐在員がEB1-Cカテゴリでグリーンカード取得を目指す話 その2

グリーンカード取得決意に至るまで

前回記載した通り、元々はヨーロッパ派だった私(と妻)。
アメリカ駐在は当初ニューヨークで5年の予定で、「ほう、ニューヨークならちょっと行ってみてやってもいいかな」と謎な上から目線で赴任してきました。
住んでみると、ヨーロッパと比べてアジア人を見下しているような雰囲気は(少なくとも住んでいるエリアでは)感じられず、色んな人種の人たちが日々エネルギッシュに生きているニューヨークが大好きになりました。
赴任半年後に出張で帰国しましたが、同じ大都市でもトーキョーは皆一様にダークスーツで生気なく俯いて行進しているかのようで、不気味に感じました。
もちろん駐在員の手厚い手当によって医療費やら家賃も気にせず住めているわけですが、それが無くなったとしても(=ローカルになったとしても)なんとかやりくりして住みたいと思うようになりました。
仕事は営業関係なので客先との面談などがあるのは日本と同じですが、余計な話はせずに本題を議論して決めるべきことをパッと決めたり、無駄な会議や会食などの接待文化もないところなど、商習慣も好感が持てるところ。
日本ではいまだにみられる、叱責や怒鳴り散らして仕事をさせる事が指導だと勘違いしている上司はこちらのマネージャー層にはおらず、優秀なマネージャーは部下がきちんと仕事ができるように組織を運営し、部下と一緒に問題解決に取り組んでいるように思います。

そんな感じで駐在生活を満喫していた矢先、本社がニューヨークオフィスをクローズすることを決めます。
そして駐在員はミシガンにあるオフィスへ転勤せよと。
これまでの会社生活で何度か転勤は経験してきましたが、自分の意に介さない転勤はこれが初めて。
住むところを自分で決められず、会社の意向で変えられてしまうことに強烈な違和感を抱きました。
一方、日本に帰るよりはマシと思いつつもネガティブな気持ちで引っ越したミシガンも、当然ニューヨークとは違ってエキサイティングではないものの、ミシガン大のお膝元であるアナーバーに住んでいることもあって住民のダイバーシティは多岐に渡っているし、ミシガンの人たちは皆穏やかで親切な人も多く、綺麗でハイソなアメリカの田舎街を楽しめる環境でした。
そんな感じで、大都市と田舎街の両方を経験していたところにCOVIDがやってきます。
当初アメリカは大変な被害を被りましたが、失敗や犠牲を乗り越えながら前に進もうとするこの国の力強さだったり、市民が医療関係者やスーパー・ドラッグストアなどのエッセンシャルワーカーへの感謝を忘れない姿勢などをみていると、問題もいろいろあるこの国だけどやはり魅力的だなぁと再認識したのでした。

こうしたアメリカという国の魅力と、先に書いた”会社に住む場所とタイミングを決められることの心地悪さ”などが相待って、グリーンカードを取りたいと強く思うようになりました。
駐在員として今のビザで働く限りは、本社の都合でいつまた転勤や帰任を命じられてもおかしくない。
でもグリーンカードを持っていれば、本社と希望が合わなければ転職するオプションがまだ残ります。
自分の人生を自分で決めるチャンスがまだあります。
合わせて励みになったのが、ミシガンに来てから妻も仕事を始めたこと。
妻は自力で面接(電話・オンライン・対面)をクリアし、周りに日本人のいないローカルの職場で働いています。
妻と私の英語レベルは近いのですが、2人とも帰国子女でもなければ留学経験もありません。
それなら自分も日系以外の会社でも働けるだろうという自信にも繋がったし、ローカル化して駐在のベネフィットがなくなっても、共稼ぎならなんとかできるんじゃないかという希望も持てています。

グリーンカードを取ることになって日本の人によく言われるのが、「良く一生住む気になったね」です。
どうも皆さん「何かを決めたら死ぬまでやり遂げないといけない」みたいに考えがちな気がしますが、グリーンカードはずっと住んで働いても”良い”のであって、途中で帰国しても構いません(税金の事は勉強して上手くやらないといけませんが)。
上手くいかなかったら帰国したり別の方法を考えたっていいわけで、そもそもグリーンカードの取得は自分の人生のオプションを広げるためですし。
医療費のことを考えれば年をとってからは日本に帰る可能性が高いですが、これからの時代、自分が住める・働ける国のオプションが複数あるというのは良いことだと思っています。

長くなってきたので、本社とのやりとりはまた次回以降に・・・


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