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劇団の制作さん、ここ10年くらい。
最近、劇団の制作担当者ですっていう新しい人を見ないような気がする。
振り返ってみると、そういう人たちが顔や名前を売り出してた2010年あたりが特異だったのかもしれない。
演劇での制作というのは、作品を世に出すことにまつわる事務的なことをするところで、劇団によって業務内容は違うけれど、助成金の申請とか、広報宣伝とか、公演当日の受付周りとかを行うところ、人、というイメージが、一般的だと思う。
なんせ、「事務」という幅広い仕事なので、劇団というか、主宰者によっては、制作者を、会社で言うところの専務・常務くらいのポジションで頼りにされているところもあれば、お茶汲みさんみたいな扱いにとどまっているところもあるような気がする。
そういう業務内容の特性から、21世紀と共に盛り上がってきた情報革命の波が後押ししたのが、事務的な業務、演劇で言うところの制作ポジションだったんじゃないかなと思う。
インターネットの普及で、それについていけた人と、なかなかついていけない人との差を、情報格差とか言っているけど、この格差こそが、制作者のアドバンテージだったんじゃないかなと思う。
そして、その格差が埋まってくるのと同時に、制作者というポジションへのスポットライトが、徐々に狭まってきている、という状況なのではないかと想像する。
制作:そういうのって、今まで応援してくれたお客さんを裏切ることにはなりはしませんでしょうか。
主宰:は?何言ってんの。オレが決めたことになんか文句あるの?文句あるんなら、劇団辞めたら?
制作:あ、そうですか。じゃあ、ご自分で助成金の報告しといてください。これ、しくったら、あなたの持ち出しですからね。さようなら。
数日後
主宰:なんというか、あの時は、ちょっと、親知らずが痛くって、心にもないことを言ってしまったような気がする。
制作:はぁ。
主宰:だからさ、劇団、辞めないでくれるかな。
制作:報告書、手におえなかったでしょ。謝っていただけたら戻りましょう。
みたいなことが成り立っていたところでも、他の人とか主宰自身がささっとできるようになって、上記の例でいう「数日後」以降の展開が起きなくなったというのが、今の状況なのではないかと、想像する。
妄想というか、勘繰りが過ぎた。
コロナ禍で、普通に公演を打つことができず、支援してくれるという国や市のお金さえも、事務力がないとなかなか手に入れられない今、制作ポジションは面目躍如のチャンスかもしれない。