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フクチャリがくれた、服と心の循環

先日、「フクチャリ」という衣類寄付のサービスを試してみました。クローゼットに眠っている服が誰かの役に立つかもしれない、そんな気持ちで始めたこのチャレンジが、思いのほか心に残る経験となりました。

クローゼットの奥に眠る服たち

家のクローゼットには、つい買いすぎてしまったり、思い出があって手放せなかったりする服が、なんとなく積み上がっていました。服一枚一枚にはそれぞれの思い出があり、例えば、初めて旅行先で買ったカラフルなスカートや、学生時代に友人とお揃いで買ったパーカー。手放すのは少し寂しいけれど、着る機会がないまま置いておくのももったいない、そんな葛藤のなかでフクチャリを知りました。

フクチャリでは、使わなくなった服を寄付することで、その収益が社会貢献や環境保全の活動に役立てられるのだとか。「服が役立つなら、心の中の思い出も少し新しい形で生きるかもしれない」と、心を決めて届いた袋に服を詰め始めました。

送り出す服に込めた感謝

いざ服を袋に詰めるとなると、ただの衣類整理ではなく、少し特別な時間のように感じました。「ありがとう、たくさんの思い出をくれて」と、送り出す服一つ一つに手を当てて感謝する気持ちが湧き上がりました。普段何気なく見ていた服たちが、それぞれの瞬間に光を与えてくれていたのだと改めて気付かされ、ちょっとした感傷に浸りながら、梱包を済ませました。

フクチャリからの寄付先報告メールを受け取った時、私の服が新たな役割を得て、社会に小さな貢献をしていると知り、不思議な誇らしさが込み上げてきました。例えば支援先の子どもたちが、その収益で学用品を手にすることができるかもしれないとか、地球の環境が少しずつでも守られていく一助となるかもしれない。私の生活の中で当たり前になっていた「モノ」が、次の人生を歩むことで、誰かにとっての小さな希望や安心に繋がっているのです。

フクチャリがくれた、新しい価値観

フクチャリを通して感じたのは、ただ不要品を手放すだけでなく、自分の思いを新しい価値に変えるという循環の温かさです。以前なら「もう着ないし捨てようかな」と思っていた服も、誰かの役に立つと考えると、ただの物ではなくなり、送り出す際の気持ちが変わりました。服が新しい場所で再び愛され、大切にされる可能性を知ることで、手放すことが「捨てる」から「分かち合う」へと変わったのです。

自分が使わなくなった物が次の人の生活を支え、誰かにとっての新しい出会いとなる。そんな小さな連鎖をつなげるフクチャリの活動に心から感謝しています。そして、きっとまた季節が巡り、少し古くなった服を見つめる日が来たら、ためらわずに誰かのもとへと送り出すだろうと思います。

フクチャリがもたらしてくれたのは、ただの衣類整理ではなく、物を大切にする心と、その先で生まれる温かな繋がりでした。


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