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Behind the Scenes of Honda F1 -ピット裏から見る景色- 2020 Vol.2

はじめまして。Honda F1の英国の拠点であるHRD-UKで、パワーユニットに使用されているハイブリッドシステムであるエナジーストレージシステム(バッテリー)開発を担当している根来と言います。

コロナ禍で大変な状況が続く日々ですが、みなさんお元気でお過ごしでしょうか?私が暮らしているイギリスでも、年が明けて以降、ロックダウンを含めさまざまな制約や変化の下での生活になっています。特殊な環境下で先行きが見えないために不安な部分もありますが、こういうときこそ家族や同僚と力を合わせて前に進んでいくんだと思いながら、毎日を過ごしています。さまざまな部分でチャレンジがある中で、このような状況こそ自分たちの力を見せるんだという想いも持っています。

ー2020年の初勝利!ここからさらに前を向いて

F1についてはご存じの通り、7月からシーズン開幕にこぎつけ、通常とは異なる環境下で連戦が行われています。このような状況でもレースをさせてもらえることは本当にうれしく思っていますし、応援いただいているファンの皆さん、開催のために多くの努力を払ってきた関係者やチーム、私の同僚たちにも本当に感謝をしています。

そして先週末の第5戦、F1 70周年記念GPでは、ついに今シーズン初勝利を挙げることができました。マックスの走り、素晴らしかったですね!私はサーキット勤務ではないものの、HRD-UKのミッションコントロールルームで、レース中のバッテリー関連のデータをリアルタイムに監視する仕事もしていますので、今回はTV画面とインターコム(無線)を通してサーキットの空気を感じながらの勝利となりました。

2020年は我々にとって勝負の年で、チャンピオン獲得に向けたシーズンと位置付けて臨んできました。しかし、ここまではライバルとの戦いの中では苦しいレースが続いてきただけに、5戦目での初勝利は「やっと勝てた」という喜びと安心感の混ざったものでした。チームの完璧な戦略とマックス(・フェルスタッペン)の素晴らしい走りがうまくかみ合った中で、我々のPUもそこに大きく貢献できたレースだったと思っています。

今年は私たちバッテリー開発チームにとっても大切な一年という位置づけで臨んできたので、今回の勝利はチームのみんなにとって、非常に大きな意味のあるものになりました。自分たちが取り組んできたことの方向性の正しさがレース結果によって証明されたという喜びと確信を与えてくれるもので、日々の努力が報われたとも感じています。Honda F1のメンバー全員のモチベーションがさらに高まったと思いますし、ここからもまだまだ前を向いて戦いを続けていかなくてはなりません。

ーロボット工学からF1プロジェクトへ

さて、少し前置きが長くなりましたが、ここでは自分の仕事内容や想いを語ってほしいといわれているので、それについて2回に分けて書いていこうと思います。初回は私のここまでのキャリアについて振り返っていきます。

私がHondaに入社したのは2005年。大学/大学院で生体のシミュレーションや制御工学などに関する研究生活を経た後、ロボット工学に携わりたくてASIMOの開発を考えたのがきっかけです。しかし、実際には入社後に即F1関連の部署に配属され、第三期と言われるF1プロジェクトのチームに入ることになりました。事前の希望とは違っていましたが、F1好きな父の影響もあり、私もF1が好きだったのでうれしかったですし、やりがいのある仕事だと感じました。

アサインされたのはHondaのF1プロジェクトでは社内では「電気屋さん」と言われる電装系開発のポジションで、ファクトリーでのソフトウェア開発や、将来的な導入が決まっていたハイブリッドシステム「KERS(現在のMGU-K)」の開発、それにトラックサイドでのSuper Aguriやテストチーム担当の仕事など、多岐にわたるものでした。現在もそうでなのすが、当時から電動化やシステム領域が私の専門分野です。そのときのレースチームやテストチームには、いまやHonda F1をけん引する立場の田辺テクニカルディレクターや本橋チーフエンジニア、それに現在MotoGPを担当している桒田ダイレクターなど、今もなじみがあるメンバーがそろっていました。

ーF1の最前線でエンジニアとして成長

大学卒業直後から世界最高峰の舞台での戦いを経験できたことはとてもエキサイティングでしたし、なにより父が非常に喜んでいましたね(笑)。当時最先端だったレース用の高性能ハイブリッドシステム開発に携われたことや、即断即決が求められるサーキット現場での経験は、エンジニアとして自分自身を一回りも二回りも大きくしてくれました。

その後、2008年でF1活動が休止となった際には、先進運転支援システムの研究開発で認識プログラムなど、研究所の中でも先進研究のエリアの仕事をしていました。また、その後はNSXやレジェンドで使用されているハイブリッド四駆である「SH-AWD」というシステムの開発にも携わりました。Hondaの量産ハイブリッドの中でも、最も複雑で最先端の領域だったので、これも自分の中ではとても楽しい仕事でした。

ー再び挑んだF1の世界では、未知の技術に挑戦

その後、HondaのF1復帰が発表され、私もF1プロジェクトへ再度参画しました。2013年のことで、具体的にはハイブリッドシステムの中のエナジーストレージシステム(バッテリー)開発担当としてのアサインでした。

私は第三期のKERSやその後の量産車関連のハイブリッドなど、それまでもさまざまなタイプのハイブリッドシステムの開発に携わってきました。しかし、当時我々が取り組もうとして、現在実際にF1で使用しているのは、従来のブレーキから電力を得る回生システム(MGU-K)に加えて、エンジンからの排気熱を利用した「MGU-H」という回生システムを合わせたもので、それ以前のキャリアでは経験したことのないものでした。

したがって、私が担当するバッテリーの分野でも、かなり特殊で難しいチャレンジになると感じていましたが、一方で、再びF1の舞台に戻れるということもあり、大きなやりがいを感じていました。

2年半ほどの準備期間を経て、何とかマクラーレンとの2015年からの参戦にこぎつけました。バッテリー開発もタイトな時間の中でギリギリの準備でしたので、開幕戦のグリッドにつけたときはほっとした気持ちと、どう信頼性・性能を上げていけばいいだろうという気持ちが半々というところでした。

ー産みの苦しみの中で、多くを学ぶ

最初のシーズンの2015年は、トラックサイドエンジニアの仕事も担当し、テストやレースに帯同しました。ご存じの通り成績としては苦しい1年でしたし、技術観点でも問題の多い面もありましたが、今思えば最初の数年は産みの苦しみという側面が大きかったと感じています。そんな中でもマクラーレンのメンバーとは開発でもトラックサイドでも緊密にコミュニケーションを取りながら一緒になってプロジェクトを進められたと思っていますし、最先端のF1にキャッチアップする中で、彼らからも非常に多くのことを学びました。また、高電圧のバッテリーをレースで安全に運用するノウハウを確立できたと思います。

当時は日本を生活の拠点にしていましたが、私自身は年の半分を日本、あとの半分は英国やレース現場といった感じで移動を繰り返していました。

これらの復帰当初の難しさはもちろんですが、それと同じくらい私にとって大きなチャレンジになったのは、現在仕事をしているHRD-UKでのバッテリー開発拠点の立ち上げでした。そのために私は2016年の後半から英国に駐在することになります。

さて、今回は私のキャリアについて語りましたが、次回は開発拠点の立ち上げにおけるチャレンジについて話をしていきたいと思います。

今週末もスペインでレースが開催されますが、そちらの応援もぜひともよろしくお願いいたします!

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