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先輩にムシされた日の話。

怖い先輩がいた。

私は中学二年生だった。その先輩とは部活も違ったし、特に接点はなかった。

ただ学校の決まりで「登下校中、先輩に会ったら必ずあいさつしましょう」となっていた。だから偶然会う事があればあいさつした。

その頃、世の中では同世代の子達があちこちで事件や問題行動を起こし、「キレる中学生」なんてテレビで騒がれていた。

そんな報道を眺めて、ますますこの先輩に対する恐怖感が増していった。そのうちキレるんじゃないかと怖かった。


その頃の私の取り柄は足が速い事だった。

どれくらいかというと、運動会のリレーで私が走れば必ず一位になったし差が開いていても追い抜く。徒競走はぶっちぎりで一位だった。

あれは本当に自分だったのかと思うほどだ。学校内の女子の中では断トツで速かった。だから運動会だけは自然と目立ってしまっていた。

ただ、それ以外は普通だった。

特に派手でもなければ垢抜けてもいない。気が強いタイプでもない。運動が好きだったから部活は真面目にやっていた。

いわゆる先輩達に目をつけられるような「生意気な後輩」ではなかったはずだ。


ところがある日、例の怖い先輩にあいさつをしたら無視されてしまった。

「◯◯先輩、嫌いな子にはあいさつ返さへんらしいで。」

友達がそう教えてくれた。

「私今日、あいさつ返されへんかったよ。」


やばい、先輩に嫌われてる!一番初めに怖いなと思った。ところがその一方で、一割程のポジティブな感情があった。

無視されるほどの意識が私に向けられていた事。おかしな話だが、なんだか認められたような気分になった。

なにか嫌われてしまうような事をやらかした?おそらく運動会で目立ってしまったからだろう。ただそれだけだ。

その時に感覚として気付いた。

「嫌われる」は「無関心」よりもきっとポジティブだ。相手が自分の事を意識して初めて感じること。無関心はそれ以前の問題。

私は怖い先輩に自分を意識してもらえて、ほんの少しだけ嬉しかった。それ以上にやっぱり怖かったけれど。


先輩は卒業式の日、私のクラスへやってきてカッターナイフを取り出した。その頃毎日のように報道された事件の影響を受けて。

ただ見せつけて怖がらせようとしていた。そしてその相手は私ではなかった。もっと派手で気が強い、先輩から見て「生意気な後輩」だった。

それは事件にはならず、先輩は先生に思いきり怒られ、そして卒業していった。それ以降一度も見ていない。


あれから20年。

好きなように生きたいと思う。周囲と足並みをそろえるために自分の長所や短所を隠そうとしなくてもいい。

嫌われてしまう事もあるだろう。でも嫌われる事があれば、反対に好きだと言ってもらえる事もある。

「可もなく不可もなく」では誰とも深く関われない。

嫌われたら嫌われたで意識してくれたんだなーと思うようにしよう。


これはあの怖い先輩が教えてくれたことだ。













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