人の心は秋の空
人を待ってもう二週間になる。予定ではこの月末にやってくるはずが、ずれこんで五月の半ばになると連絡が来た。男はいつでも待たせるだけで女はいつでも待ちくたびれて、なんて歌があるが、男だって待つのだ。しかし湿っていてもしょうがない。カラッとして迎え撃つ気概だ大事なのは。今年はおみくじを引いていないから、待ち人来ずだかどうか分からないが引いていてもどうせ忘れている。なんとなく大吉の心持ちだ今は。それもきっとコーヒーを飲んだからでカフェインやら人と話したことやらで気分が高揚しているのだ。人間はそんなものだ。朝一は久しぶりに晴れていて、雨ばかりで引きこもりがちの鬱屈から抜け出そうと散歩する予定が、朝ご飯を食べ終わる頃にはもう小雨が降り出している。人の心は秋の空、と頭にぽっと浮かんできた。例によって言葉を知らないわたしは調べてみると、正しくは「男心と秋の空」そして「女心と秋の空」とある。どちらも天気の変わりやすい秋空を移ろいやすい人の心になぞらえたものだ。この言葉がふいに浮かんでくるのが面白い。無意識はいつも知っているのだ。男心は女性への愛情のことを言っているのに対し女心は物事に対して移り気なことを表している。女はいつも現実を見ている。そして男はいつまでもロマンチストだ。昔からそうなんだ。ならしょうがない。こうして書いている間に晴れ間が戻ってきた。日光浴がてらにタバコを吸おう。
ベンチに座ると尻からトイレットペーパーが垂れているのに気がついた。ついさっき用を足している最中に言葉が頭に溢れ出てきて(大便の勢いも同じくらい快調だった)急いで戻ったからだ。恥ずかしいこんな自分が嫌になる、なんて思うのは一瞬でアホすぎて笑ってしまう。しかも一度や二度ではない、学んでいない。おそらく今向かいにいる外国人は尻から垂れているのが目に入っただろうが、ジャパニーズ・フンドシだと思っていることを願う。よく寝たからだろうか体がスッキリしていて酒がなくても頭が回る。1リットルのウイスキーはもう底をついていて今夜の分にはもう足りない。あんまりコーヒーとばかりも飲んでいられないから紅茶に混ぜてみたがこれもまた美味しい。カフェインの摂りすぎは体に悪いと昼間から酔っ払う人間が考える。偏りがあってこその人間だ。人間だからと言えばなんでも丸く収まる気がしてくる。相田みつおはやっぱりすごかったのだ。すぐに千田みつおが頭に浮かびナハッナハッと聞こえるくらいには頭が暴走している。ブレーキが壊れた車は進むしかない、怖がってもしょうがないのだ、なら笑って楽しんだほうがいい引き攣った笑顔でも。
バックパッカー風の日本人と同室になる。ヒッチハイクでこの国を周っているらしい。気のいい人だった。いい人だから少し心配になる。もう旅の終盤で空港まで歩いていくと言って出発していった。5時間弱の道のりは歩けないことはないがまた雨が降り出している今きっと大変だろう。なんだって動いたほうがいい、意味なんていらない後からついてくる。そんなことを思ったというか思い出した。汚いリュックを背負って歩いて回ったアジアの国々を思い出す。砂埃の舞う道、大量のバイク、二人乗り、ひっきりなしに聞こえるクラクション。都市生活で忘れていく、安全の中では不必要な動物的勘。身体を感じながら都市で生きること。それが今のわたしには必要だ。文字の中はいつも自由だ。その空間は無限に広がっている。目を瞑って存在しない果てに向かってどこまでもスピードを上げていく。ふと自らの足の臭いでここに戻ってきてしまう。シャワーを浴びよう。