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一冊に殴られる 「ぼくの命は言葉とともにある」福島智

人の急激な成長が、何かに気付くことで促されるというのなら、私はある本に殴られたような経験を持った事があります。友人に怒鳴られる、恩師に叱られる、先輩に注意される、人生の節々で気付きを頂く事は、もちろんありました。ただ、この一冊は、それまでとは痛みが違いました。自分の自惚れや無知を、この一冊がその存在だけで、私を殴り、そして去って行きました。

非常に恥ずかしい経験でありますが、懺悔のようにここに記します。私はある仕事において、大変だと感じた事がありました。今考えると、ただ、もうひと絞りの努力をすれば良いだけなのに、躊躇し、大変だと目を閉じ、見ないふりをしていた事があります。目を閉じても、自体は悪くなるだけなのに。ただ、この稚拙な行動よりも、もっと卑劣な行動を次に起こしました。

こういう辛い時は、自分より苦境にある人のことを考え、その彼らを助けるつもりで、仕事に挑もう。

なんと浅はかな、自惚れた考えだろう。今では、そう思います。そして、卑劣な私は、想像を絶する苦境と恐怖の中で生きている人について検索を試みます。思いついたのは、目が見えなくて、耳が聞こえない人は、どれだけ大変な人生を歩んでいるだろうか。どのような施設にいて、どのような人たちが助けているのか、何かボランティアは出来るだろうか。検索結果は1秒で出てきて、そして目を疑いました。

福島 智(ふくしま さとし、1962年12月25日 - )日本のバリアフリー研究者。東京大学教授(博士(学術)、東京大学)。専門は、バリアフリー教育、障害学、障害者福祉、アクセシビリティ。 

自惚れた私が助けようとしていた方は、東大教授であり、そして自らバリアフリーの研究で社会的に大活躍されている事が、検索結果に登場しました。その瞬間、「恥を知れ」と低い声が聞こえたような気がしています。そして、読んだ本がこの本でした。

「ぼくの命は言葉とともにある」福島智

福島先生は、9歳で失明し、18歳で聴力を失います。小学生の時に読んだ「ヘレン・ケラー」の伝記について、数年後に自分が同じ状況に陥るとは思わなかったと、冒頭で書いています。このように、思春期の成長と共に、段々と目と耳の感覚を失う様子が、先生の独特の表現で綴られて行きます。

では、この本は、光と音を失う過程を描いて、人生は大変だ、でも生きることは素晴らしい、と書いたものなのか?全く違います。幼少期の章から読み取れますが、福島先生は、元々とても前向きで、探求心の旺盛な方であったようです。それを支えるご両親も、とても聡明な方であるように読み取れます。その環境から、先生は様々な言葉を探し、繋げていきます。全てを失った時、「むしろすっきりした」という仰天する言葉を残されておりますし、更には、友人が先生の手のひらに文字を書き、それが別の友人へ伝わり、言葉が会話となった時に、この繋がりを「他者との関わりが唯一自分の存在を確かめる」という表現で記されたりしています。この本は、もちろん聴力や視力が不自由な著者が書いた本であり、読み手はそれを体感してはいるのですが、読み進めていくうちに、福島先生の言葉の選び方に魅了されていることに気付くのではないかと思います。言葉が煌めき、音を放つのです。もちろん、先生の書かれた原稿を商業的に仕上げる過程には、通常の出版物のように編集者は存在したでしょう。しかし、この言葉の選択と表現とは、福島先生独特の書き方と語彙の選択によるものです。私は、この本に殴られてから、「ことばは光」など、短期間に多数の先生の書物を読ませて頂きました。いずれの本にも言える事は、先生の言葉は色と音を放ち、美しい絵画のように表現され、そして強く鋭い説得力を持つという事であります。

私は、この恥ずかしい経験をした夜から、一度足りとも、何かを躊躇したり、あと一絞りの努力を忘れたりはしておりません。悩んで時間を無駄にするのは、もってのほか。その断言は大げさではなく、この本が記す「思索」による影響と言ってよいでしょう。

「しさくは きみの ために ある」

聴力も視力も失った福島智先生が、家族や友人から気付いた繋がり、恩師の言葉や落語から拾う感性、谷川俊太郎や芥川龍之介を自分のものとして読み解く力、生きている毎日から鋭い感性で感じるもの。これが全て、先生の「思索」を支える糧となるのかもしれません。この本で救いとなった「思索」という言葉は、読み終えた時、その読み手を救う言葉になっていることでしょう。



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