少年の日の幻影 「さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-」
好きすぎて、この作品については、多分1回では済まない…。でも、ジェネラルな紹介として、まず自分なりの言葉でここで書いてみようと思います。
松本零士先生の「銀河鉄道999」は、私の中で最高傑作のアニメーションフランチャイズなのであります。漫画やテレビアニメーションは、昭和70年代のフォークな世界観を漂わせながら、宇宙を旅する銀河鉄道というSFファンタジーで、様々な星を立ち寄り、人間の情と毎回出会いながら、限りある命の尊さを描きます。謎の美女メーテル、そして永遠の命を手に入れようとする鉄郎が「機械の体をただでくれる星へ」旅していくのです。最初の映画「銀河鉄道999-The Galaxy Express 999-」は、1979年の東映動画作品。りんたろう先生の監督作品です。(驚くのは、先生がまだお若かったので、東映動画が市川崑氏を監修としてクレジットしていること。)ゴダイゴの主題歌と共に、現代も残っている名作です。今となってビジネス的に興味深いのは、テレビシリーズがまだまだ走っている中で、この映画は鉄郎を5歳成長させ、トチロー、ハーロック、エメラルダスというフランチャイズキャラクターを出演させながら、冥王星の謎、終着駅やメーテルの正体を書いてしまっているという事です。この作品は、現代の日本では当たり前となりましたが、商業的にも論評的にも認められた日本で最初のアニメーション映画と言えるのではないでしょうか。それから2年して、この「さよなら銀河鉄道999」が劇場公開されました。私にとっては、りんたろう監督の最高傑作であり、自分にとっても大切な一作となっています。
本作では、最初の映画から2年後の世界が描かれています。機械化母性を破壊し、メーテルと別れ、地球に戻った鉄郎は、まだ蔓延る機械化人との争いの中にいました。17歳の鉄郎は、アニメーションと分かりつつも、驚くほど成長しています。では、そんな鉄郎がなぜ再び999に乗り込むのか。もちろん、メーテルがきっかけではあります。そして、999の待つホームへ。機械化人に降るように襲撃される中、息子のような存在である鉄郎を、仲間たちは体を張って999へと乗り込ませようとします。
「若いって、いいもんだ。どんな小さな希望にも自分の全てを賭ける事が出来るからな。みんな、わしらのセガレが行くと言うんだ、行かせてやろうじゃないか!」
ビルの上からの銃弾に倒れる仲間、振り返ろうとする鉄郎、「振り返るな、ここで死にたいのか」と叫ぶ仲間…この、地球を離れるまでのシーン…傑作です。この調子で書くと、完全台本の写経となりそうなので、ここでやめておきましょう。
「銀河鉄道999」の全体的なテーマなのかもしれませんが、特に本作では、男の体内にDNAとして宿る少年の部分が、刺激されたり、優しく包まれたり、慰められたり、鷲掴みにされたりするのです。私は宝塚歌劇のファンであり、このNOTEでもマガジンを書いたりしておりますが、やはり宝塚歌劇に心から震えることが出来るのは、「女性だけ」であると分かっています。私がどんなに好きでも、宝塚歌劇には、女性だけにしか分からない、特権のような素晴らしい何かがある、という事が分かっています。私はそれで良いと思っていますし、そこに踏み込まないのも、マナーだと思っています。それと同様に、この「銀河鉄道999」の中には、男が少年時代の夏から脈々と持ち続ける冒険に反応する核があるように思えるのです。
「さようなら鉄郎…。いつかお別れの時が来ると、私にはわかっていました。私は青春の幻影。若者にしか見えない時の流れの中を旅する女。メーテルという名の…鉄郎の思い出の中に残れば、それでいい。私はそれでいい。」
私を含めて、世代によっては、メーテルに対しても、ある種の感情を抱くのかもしれません。別にそれは、恋愛や母性の象徴というわけではなく、ストレートだろうがゲイだろうが、男の中には、少年の日の幻影があって、そこにメーテルのような、それぞれが大切にする、そしてもう二度と会えない存在があるような気がしております。
この作品については、まだまだ書きたい事はあります。声優について、特に第一作と二作目に共通する声優陣や、黒騎士ファウストを演じた江守徹さんの素晴らしさなど。でも、それはまた別の機会にしましょう。
さて、この作品は、映画の世界で仕事をしたかった自分が、精神的に一歩駒を進めるきっかけの一つにもなっているのです。もう時効なので、書いても大丈夫だと思うのですが、私がLAの学生だった頃、この作品のハリウッド版制作の企画がありました。松本零士先生を迎えて、制作関係者に、このオリジナルアニメーションを見せる必要がありました。その際に、字幕編集をさせて頂くことになったのです。大好きな作品のハリウッド版、その実現に協力ができて、しかも制作された場合、最後のエンドクレジットに自分の名前が載るのなら、完全ボランティアでやります、と。残念ながら、その企画は2020年現在、まだ形になっていません。しかし、遠かった憧れの映画の世界が、仕事として存在することを体験した、貴重な時間でありました。
この作品は、是非現代の若い世代にも見て、感じて欲しいと思っております。松本先生の描いた世界は、時が流れた今でも、現代なりに感じる事が出来るはずだと確信しています。命の尊さはもちろん、友の為に涙を流すこと。死ぬな、ということ。いつか、別れると分かって、今を生きるということ。少年時代は、二度と帰らないということ。思いっきり今を生きること、そして時間を戻すことは出来ないけれども、永久に忘れない日々を心に刻む事が出来るのだということを。
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