三宝
仏、佛 ほとけ
「ぶつ(仏)」の音変化した「ほと」に、目に見える形の意の「け」の付いた語で、仏の形、仏像が原義かという
仏語:悟りを得た者。仏陀ぶっだ。特に、釈迦しゃかのこと。
「仏の慈悲にすがる」
仏像:仏の仏像や画像。
「仏を刻む」
死者:ほとけさん。
「仏になる」
生き仏:温厚で慈悲心の深い人をたとえていう語。
仏法:仏教の法 - 仏に成る方法。法門の元。
如来法(にょらいほう)ともいう。
法則・真理、教法・説法、存在、具体的な存在を構成する要素的存在などのこと。
仏教における「仏・法・僧」(ぶっぽうそう)と呼ばれる3つの宝物を「三宝」(さんぼう)という。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教と違い、仏教においては三宝に対する「帰依」(拠り所にするという意味)が強調される。
仏陀(釈迦)と法(ダルマ)と僧伽(そうぎゃ、さんが)この三宝に帰依し、その上で授戒することで正式に仏教徒とされる。
大乗仏教においては、悟りの体現者である「仏」(釈迦、如来など)、仏の説いた教えを集大成した「法」、法を学ぶ仏弟子の集団である「僧伽」といった理解がもっとも一般的である。
大乗仏教の『大般涅槃経』では、仏・法・僧の三宝は一体であって本来は区別されるものではなく、如来常住を説く法もまた常住であり、僧もまた常住である、と説く。また、そのために如来は一帰依処として三宝に差別(三差別)は無いと説いている。
聖徳太子が制定したと言われる「十七条憲法」には、第二番目の条項に「篤く三宝を敬え。三宝とは仏と法と僧となり」という文言がみられる。
高野山真言宗
ご詠歌(ごえいか)は、仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌と成し、旋律=曲に乗せて唱えるもの。日本仏教において平安時代より伝わる宗教的伝統芸能の一つである。詞に曲をつけたものを「和讃」(わさん)と呼おぶ。
「いとも尊きみ仏を 未来の際の尽くるまで 南無帰依仏とおろがまん 心の闇を照らしませ 気高く清き法の道 未来の際の尽くるまで 南無帰依法と唱えては 四妙法宝守ります 聖僧に頼るものは皆 未来の際の尽くるまで 南無帰依僧と崇めます 悟りの道を伝えませ」
自灯明(じとうみょう)
法灯明(ほうとうみょう)
この言葉は大般涅槃経の一説としてよく知られている釈迦の教えの言葉。
弟子たちに最後の教えで説いた言葉。
釈迦は弟子たちに、各々には自らを灯火として自らをよりどころとして他を頼りとしてはいけないと説いたのが自灯明である。
そして仏法を灯火としてよりどころとして他の教えをよりどころとしてはいけないと説いたのが法灯明である。
仏は世間から出でた存在であることから、仏の教えを、出世間法、あるいは如来法(にょらいぼう)などという。
対義語は世間法(せけんぼう、略して世法-せほう)である。
移ろいゆく世界(世間)の法則に流れしたがうこと。
また政治を仏法の対照として見る場合は王法という。
また、仏法は仏教そのものを指す場合もある。
「―の御験みしるしはかやうにこそと」〈栄花・初花〉
『栄花物語』(えいが)は平安時代の歴史物語。仮名文の史書
全40巻は正編30巻と続編10巻で構成されている
宇多天皇即位(887年)から堀河天皇まで(具体的には寛治6年(1092年)まで)の15代およそ200年間を描写している。
藤原道長の時代を扱うため道長の叙述が特に詳しくなっているが、いわゆる道長物語ではなく、藤原氏の外戚政治の成功など摂関政治の本質が語られている点に特徴があるとされる。
巻八の初花(はつはな)の敦成親王(後一条天皇)誕生記事は『紫式部日記』の引用となっており、その前後は『紫式部日記』などの史料を書き並べたような叙述になっている。
『栄花物語』 著者不明(仮名文から女性説あり)
1巻「月の宴」
宇多天皇の時代から書き起こす。村上天皇の御世に藤原師輔の娘安子が入内して中宮となり師輔が台頭。
2巻「花山たづぬる中納言」
花山天皇が出家した。藤原兼家登場。
3巻「さまざまのよろこび」
詮子が円融天皇のもとに入内し子の一条天皇が7歳で即位。
4巻「みはてぬ夢」
道長が実権を握る。
5巻「浦々の別れ」
伊周が道長との政権争いに敗れ大宰府に左遷さる。
6巻「かかやく藤壺」
道長の長女彰子が一条天皇の中宮となる。
7巻「鳥辺野」
定子・詮子が相次いで崩御。
8巻「はつ花」
中宮彰子の皇子出産、『紫式部日記』の引用部分あり。
9巻「いわかげ」
一条天皇の崩御。
10巻「日蔭のかつら」
三条天皇の即位。
11巻「つぼみ花」
禎子内親王の誕生。
12巻「玉のむら菊」
後一条天皇の即位。
13巻「ゆふしで」
敦明親王の皇太子辞退と道長の介入。
14巻「浅緑」
道長の娘威子が後一条天皇の中宮となり一家から3人の后が並びたつ。
15巻「うたがひ」
道長が54歳で出家、法成寺造営。
16巻「もとの雫」
法成寺落慶供養。道長栄華を極める。
17巻「音楽」
法成寺金堂供養の様子。
18巻「玉の台」
法成寺に諸堂が建立され、参詣の尼たちが極楽浄土と称えた。
19巻「御裳着」
三条天皇皇女禎子内親王の裳着の式(女子の成人式にあたる)。
20巻「御賀」
道長の妻倫子の六十の賀(長寿の祝い)。
21巻「後くゐの大将」
道長の子、内大臣教通が妻を亡くして悲嘆する。
22巻「とりのまひ」
薬師堂の仏像開眼の様子。
23巻「こまくらべの行幸」
関白頼通の屋敷で競馬が行われ。天皇も行幸した。
24巻「わかばえ」
頼通は初めての男子(通房)の誕生を喜ぶ。
25巻「みねの月」
道長の娘寛子が亡くなる。
26巻「楚王の夢」
同じく嬉子も皇子(後の後冷泉天皇)産後の肥立が悪く亡くなる。道長夫妻は悲嘆にくれる。
27巻「ころもの玉」
彰子の出家。
28巻「わかみづ」
中宮威子の出産。
29巻「玉のかざり」
皇太后妍子の崩御。
30巻「鶴の林」
道長が62歳で大往生。
31巻「殿上の花見」
関白頼通の代。彰子の花見。
32巻「歌あはせ」
倫子七十の賀。
33巻「きるはわびしと嘆く女房」
後一条天皇の崩御と後朱雀天皇の即位。
34巻「暮まつ星」
章子内親王が皇太子(後冷泉天皇)の妃に。
35巻「蜘蛛のふるまひ」
頼通は、嫡子通房を流行病で亡くす。
36巻「根あはせ」
後冷泉天皇の即位。
37巻「けぶりの後」
法成寺焼失。後冷泉天皇崩御、後三条天皇即位。
38巻「松のしづ枝」
白河天皇即位。
39巻「布引の滝」
頼通、彰子姉弟が相次いで死去。師実が関白に。
40巻「紫野」
応徳3年(1086年)白河天皇が譲位。堀河天皇が即位し、師実は摂政になる。最後に15歳の師実の孫忠実が春日大社の祭礼に奉仕する姿を描写して藤原一族の栄華を寿ぎ終了している。