今日の学び「教皇と皇帝とトヨタ」
最近「超訳 ヨーロッパの歴史(原題 THE SHORTEST HISTORY OF EUROPE)」を読んでいます。
高校で世界史をほとんど学んでいなかったせいか、タメになったと思える知識がたくさん詰め込まれている気がする。
今日はこの本の第6章「教皇と皇帝」を読んだ。
著者がオーストラリア出身の歴史家である上に、西洋史の本であるため日本に馴染み深い話などはほとんど出てくることはないが、この第6章には珍しく日本にまつわる一節があった。
政治に宗教が深く介入したり、宗教の対立が少なかったりした日本には馴染みがないかもしれないが(もちろん無かったわけではない)、ヨーロッパの宗教はキリスト教が政治を直接支配し、戦争を引き起こすなどヨーロッパの歴史から欠かすことができないほどの影響力を持っている。
キリスト教の宗派はしばしば政治の道具として使われたために、国際組織として国境を跨いで広がりながらも、その影響力の行使に四苦八苦していたようだ。
カトリック(ローマ教)のトップはローマ教皇と呼ばれ、各地方に建てられた教会は司教によって運営されていた。しかし、ローマ教の地方統治と皇帝、地方領主、あるいは王との間で摩擦があったようだ。それを日本の企業・トヨタ自動車に上たとえたものが画像の一節である。
トヨタ本社=教皇
地方首長=皇帝・諸侯
CEO・工場長=司教
のようにたとえられている。
教皇と皇帝は相互扶助の関係にあった。皇帝は教皇によって任命され、教皇は皇帝によって保護されるという構図だったが、教会を運営する司教は地方諸侯や王に任命されたことがローマ教皇には不満だった。
実際、ルターが現れた後プロテスタントがヨーロッパで台頭するようになり、カトリックの影響力が低下することを考えるなら、教皇が司教の任命に影響力を残しておきたかったことは極めて先見性のある判断だったと思う。
まあでも、皇帝側からすれば自分達の土地やお金を遥か遠く離れた何者かに支配されることの気持ち悪さはわからなくもない話だ。
このたとえをトヨタに当てはめるなら、国際企業として巨大になりすぎた会社はカトリックのように分断される運命が待つのかもしれない。
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