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私は生きている。だからやることがある。
2011年3月11日、東日本大震災
私は父を失った―
カナダから奨学金を受け取ることになり、その授与式の時、現地の人から手渡されたプレゼント。
中身は化粧品だった。
「あまりオシャレする気分ではないかもしれないけど、あなたは女性だわ。」
1本の口紅を手に取り、唇に色をのせた。
目の下にクマができ、全体的に血色が悪い肌。口紅だけが変に浮いてしまう
このままではいけない・・・
1本の口紅が私に気付かせてくれた
『美しくあること』
『健康であること』
女性が女性らしく、そして人間らしく生き生きと輝くために必要なもの
震災後、お風呂にも入れず、化粧もできず
太ったり痩せたり
眠れない日々が続いたり
食べていないと不安だった。と語る女性。
肌荒れがひどくてね。と語る女性。
この東北の地で女性が一度失った「美」と「健康」を意識する場をつくりたい
そして 女性が生き生きと輝く東北にしたい
私の原点
そんな思いを胸に、私は大学4年生の時に、
TOHOKU miss campus collection
というファッションショーを開催しました。
上の文章は、ファッションショーを立ち上げた時に掲げた開催ストーリーです。懐かしい(笑)
ここから、私の人生は大きく変わっていきました。
順調に進んでいたレールを踏み外し、転げ落ち、レールどころか道もない。山を切り崩し、雑木林を耕す、そんな人生の始まりだったのです。
私は、父を亡くした後、悲しみにくれる一方で、ただただ学校と家の往復だけをしている日々に疑問と恥ずかしさを感じるようになりました。
こんな生活を送っていて、父に申し訳がない。
もっと生きたくても生きれなかった大勢の人がいる中で、なんの目標もなく生きている私は恥ずかしい。
3月11日、
自分も海辺にいたかもしれない。
自分も流されていたかもしれない。
たくさんの「かもしれない」をくぐり抜け、今私は生きています。
私は運が良かったのです。
でも、生きているからできることがある。
そうして、なにか自分にできることで東北の復興の力になることはできないかと考えるようになりました。
あの時の私は渇いていました。
猛烈に。
今考えると、”震災だから”ではなく、
もっと
それ以前から、
本当は渇いていたのだと思います。
それが、震災と父の死をきっかけに、渇きに気づき、その渇きに耐えられなくなったのだと思います。
何者でもない自分が
何者かになりたかった。