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塔の上で猫と暮らす [幻想小説/短編]
彼女の朝は尖塔のてっぺんではじまる。
小窓から射し込む朝陽を受けて目を覚まし、重たい瞼を擦りながら起き上がると、足元で眠っていた小さな子猫がにゃあと鳴いた。夜行性の動物は今朝も二度寝をするようで、鳴き声をあげたきり動こうとしない。この気まぐれな生き物は、毎朝、朝餉の支度を終えた時間を見計らうようにしてすり寄ってくることを彼女は知っている。
彼女は子猫の柔らかな毛をそっと撫で、冷たい床に爪先を添わせる。粗末な寝台がひとつだけ置かれた質素な空間には、生活のための最低限度の家具が用意されていた。
ひとりと一匹が暮らすのは教会の尖塔につくられた小部屋だった。
彼女たちがなぜその小部屋に隠れ住むようにしているのかというと、司教様から与えられた役目を定刻通りに行うためには、そこは最適な場所であると教えられた為だった。
家族と共に暮らす喜び、恋人の肩を枕に迎える朝を、彼女が知ることはなかった。
それでも子猫との生活は彼女の胸に慰めを与え、おのれの他に体温をもち呼吸をする生き物がいる祝福を教えた。
時には心配事も増えていくが、守るべき小さな命がいる生活はずいぶんと優しく穏やかな時間だった。
朝餉は固いパンと決まっている。
戸棚の上の食物庫からパンを取り出し、ナイフで一切れだけ切り落とす。冷えた小麦の香りが広がるのを感じる。
さらにもう半分に両断し、右半分は子猫のために素手で千切っていく。
いくつかの小片が出来上がってから浅い木皿に散らして、最後に小瓶からミルクを注いだ。ミルクを吸って柔らかくふやけたパンなら、子猫でも嚥下することができる。
のこりのはんぶんが彼女の食料だった。食卓につくよりも早く、一口齧る。
昨晩ほどこされたパンの素朴な味わいは、彼女の空腹を満たすにはじゅうぶんだった。
そして美しい毛並みの獣が目を覚ます。
子猫は透明なヒゲをひくひくと上下させて、小麦の香を敏感に察知していた。テーブルの上に飛び乗ってきた子猫へ、彼女は「おはよう」と声をかける。獣が言葉など解さないことはよくわかっていたが、毎朝の習慣がそうさせる。返事はない。子猫はすでに朝食に夢中だった。
朝食を終えるのはいつも同時だ。彼女と子猫は足並みをそろえて小部屋をあとにする。
尖塔の天辺から階下へ、細長い廊下をつたい隣の尖塔の天辺へ。
塔の一番高い場所では大きな鐘が待ち受けている。青銅の鐘に手を添えて彼女は未明の空を見上げた。
毎朝、太陽が半分顔を出すのを見届けてから、鐘を鳴らすのが彼女たちの仕事だ。
丘の上から朝を告げる音色が鳴り響き、辺境の町には朝が訪れる。商人たちは家々の窓を開き、羊飼いが牧羊地へとひた走る。漁師が港への旅に出かけ、農民たちは種を蒔く。
清澄でにぎやかな朝の始まりを見送る日々こそ、彼女と子猫の暮らしだった。
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とある小説講座に参加した際に執筆した幻想小説です。
講評をしていただいた講師の方からはタイトルや世界観、情景描写についてコメントを寄せていただき、大変励みになりました。とくにショートショートの書き方について有意義な知見を得られた勉強会で、もっと構成力を磨かなければ…と思ったのでした。