【ほのぼの】したいことをしていればいい。
私は自由な生活を送っていると思っていたけれど、他の人よりも不自由な生活を最近送っていたのかもしれない。
自由を選ぶということは、常に選択をしていることになる。毎日会社に行く人は不自由だと感じているかもしれないけれど、本当は自由なのかもしれない。
うまく伝わらなかったら、すみません。
今日することが決まっているという人は、ある意味その流れに従っていけば、一日が終る。
もちろんその中で、資料を作成したり、人間関係で悩むこともあると思う。その気持ちは、私も会社員の頃を思い出せば、とても共感できる。
私も何もしなくても一日が終る。
でも
最近仕事を再開して思ったことが
「このままでは、本を書く時間がない」
「言葉がおりてこない」
という焦る気持ちだった。
そう思っていたら、お客様がこなくなってしまった。
自分でそう思ったのに、自分がそう願ったのに
「どうしよう?」
と不安になってしまった。
自由の中の選択肢だから、決められているわけではないのに、決めつけてしまっていた。
本を書くのであれば、本だけに集中しなければならない。
この~しなければならない。という不自由にハマっていた。
すこし話は変わって
ここ2週間ほど、毎日神社に参拝している。それは朝散歩を始めたことと、神主さんとお話しした時に、「毎日お参りしている人もいます」という話を聞いたから。
このことに関して、~しなければならない。とは思っていない。
朝、神社にお参りに行ったら気持ちがいいし、得をした気持ちになれるから参拝している。
私のよく行く神社は、朝参拝に行くと掃除をしている人がいて、普段は開いていない扉が開かれている。その神聖な雰囲気がまたとてもいい。
お賽銭も、その時にお財布に入っているお金を気が向いた分持っていく。
神社の後は、近くの公園に行く。
朝はいろんな鳥が見れる。空気がきれい。人もほとんどいない。
だから木に抱きついたりもする。とても癒される。
このことに関しても、~しなければならない。とは思っていない。
神社と公園は、歩いて2分程のところにあるので、私は本当に良いところに住んでいるとしみじみ感じることができる。
これは、会社勤めの人も工夫次第で、できることだと思う。
それと
今朝鏡に映った自分を見て
わ、若い
そう思った。
こんなことを書くのは自意識過剰だと思われると思うけれど、自分が驚いてしまった。
自分軸の視点で書くと
前から自覚していていたことではあったけれど、今朝はそれとは違った感覚。私に外見上の歳月は訪れたのだろうか?と思ってしまった。
これでは、初めての人は私の年はわからないだろうな?とつくづく思った。
中学生くらいから、無意識に顔の体操をしていて、いつまでも若くいたいという願望が叶っていることになると思った。
このことに関しても、~しなければならない。とは思っていない。
それと
自由について話を戻すと、中学生頃から大人になってもあまり働きたくない。週3日は休みたい。という強い願望があった。
今の現状を見ると、ほとんど自分の好きなことをして過ごしている。完全に週休3日ではないけれど、そうしようと思えばすることができる。
そこで今という現状に戻ると、好きな環境で暮らして、楽しい朝を過ごし、望み通りに若くいられて、大体望み通りな働き方をしている。
すっすごい!
すべて、~しなければならない。と思ってやっていることではない。
だからこそ
~しなければならない。と思って物事をやるのではなく。
ほのぼのと、したいことをしていればいい。
そのことに気づいた。
書くことが大好きだから、noteも大好き。
本も早く再出版したいけど、無理に焦らない。
そして
仕事道具も買ったのだから、私はこの占いの仕事もやりたいと思っている。だからこそ、この仕事をしたいと思った時に、やってみればいい。
そう思ったら、お客様がきてくれて、楽しくお話しができた。
私にも他の人にも、これだけ!という選択肢はない。
だから私は、その時のしたいことをしていく。
時には、流れにのってみたり。流れに逆らってみたり。流れに飲み込まれたり。
でも、流れがあるのって素敵なことだし、流れも1つの自由だと思う。
すべてが正解で自由。
可も不可もなく在る。
これも、私の本にも書いている言葉。
そう
すべてが正解。
すべてが自由。
人は、可も不可もなく在る。
なんでこんなに文章を書くのが好きなのかわからないけど、今一番したいことはやっぱり文章を書くこと。腕が痛くならくて、目も疲れなければ、ずっと書いていたいくらいです。
読んで頂きまして、本当にありがとうございます!感謝します。