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怪我の功名のように

昨年3月に自坊で死生観を語り合うワークショップ(デス・カフェ)を行う予定をたてていた。コロナウイルスの蔓延もあり、残念ながら中止となった。その後スタッフと話し合い、オンラインで行った。参加者からは好評価で現在も続いている。

従来、寺という場に来ることで得られる交流や安心観を大切にしてきた。オンラインでは身分を隠したりでき、発言が無責任になるケースもある。だから、現在は個人的知り合いと行う形をとって行っている。

また、個人的には読書が趣味で、コロナ禍で読書会主催者の資格をオンラインで取得した。現在は友人たちとオンライン読書会も行っている。

リアルで行えないが、代わりに全国の友人と行なっている。集まるが難しい時代、研修等を行う目的ならオンラインという手段がある。

コロナ禍となり、交流のあり方は様変わりした。寺院のあり方も変化していくかもしれない。それは寺も諸行無常の鉄則から逃れられないということを意味している。

その上で考えるべきは、豊さとは何か?幸せとは何か?という人間の本質を問うことではないだろうか。個人的には失ったものを嘆くより、新たな挑戦を行う機会を得たと捉えている。コロナ禍で見えてきた新たな視点、前を向いてこれからも活動をしていきたい。



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