法事と対話
本日は4件の法事。茂原市緑ヶ丘の個人宅から始まり、千葉市高田町の霊園、大木戸町の善徳寺、高津戸町の個人宅という移動。法事一時間から一時間半、移動30分という感じで慌ただしい動きをしていた。
法事は、事前に法要の説明、後の対話の時間を設ける機会が多い。
対話は檀家さんや一見さんでない限り行っていて、そこから見えてくる生前の故人のあり方から学ぶものが必ずある。
答えを求めているわけではないが…それを聞くことでできてくる空気は、独特で貴重なものだなと感じる。
一方的にお説教というか話すケースもあるが、そこでは、偲ぶ意味を考えてもらっている。心の中の対話を重視したいと思っている。故人は肉体を失うが、それ故に遺族の心の中に永遠性を獲得する。それを確認し、活かすことを促すのが、対話であり、法事であれば嬉しい。
https://mytera.jp/paper/honkyuji0022_20200528/
個人的には来世があって欲しいとは、思っている。何しろ死んだことがないからあるとは言えないが、たとえなくとも、儀礼をする意義はあると思う。
「長生きとは、長い生産である」とは『孟嘗君』でのべられる言葉である。法事とは、生産の元となる過去を知り、未来を思うものであり、今を生きるを促すものであって欲しいと思っている。
グッドアンセスターとグリーフケアは良き対話が促すものなのかもしれないと、今思う。