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至極の大乗

今日は代務寺院で法事であった。法事の前に、お経本を配り、読むお経すなわち法華経の説明をする。
そのおり、開経偈の説明もします。
開経偈はお経ではなく、これから読むお経は尊いお経、なかなか出会えないお経と述べ、誉め讃えるものです。いつも読む文章を掻い摘んで説明するのですが、特に「至極の大乗」という表現に注目しています。これは「これ以上ない大きな乗り物」という意味です。自分たけが救われる自業自得的考えを否定し、自分以外の他の人々、生物。まだ生まれていない生命も死者も救われることを願う考えに基づいていると思われます。
法華経は大乗仏教と言われるブッダ滅後のものですが、生前のブッダの思想を引き継いでいます。
『ブッダの言葉(スッタニパータ)』中村元訳、岩波文庫 では


いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、ことごとく、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

とあります。
すでに生まれたものとは、今生きている我々ことであります。これを法華経は死者の領域まで広げたとも言えるのかもしれません。

故人の成仏を願う。それが法事をする由来だとするならば「至極の大乗」という表現は大事な部分だと思います。そしてその法事に関わることで仏道修行を行う。それにより、副次的効果ですが、心が整うことも仏や故人から与えられる「利益」(りやく)なのかもしれません。



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