聞く
土曜日は法事の後は子供会、8名参加でした。読経のあとは、コグトレのワークをして、お菓子を食べて、レク。新聞パズルや紙ヒコーキ大会、ビンゴなどをして過ごしました。
ネットにも活動日は出せないのは、密を避けるため。口コミでのみの募集となります。
本日は、3時起床。佐々木先生のパーリ語のユーチューブで学び、その後6時には茂原へ移動。
茂原の妙光寺で役員さんと外掃除。あれこれと2時間近く掃除をし、綺麗になりました。
その後は檀家さんの自宅での法事、土気ですので30分ほどの移動の後です。
昨今の法事は、後席がありません。
そこで法事の前後で故人への思い出や今思うことをお聞きします。
今日は七回忌でしたが、参列者のそれぞれの思いに耳を傾けると…言葉にならないかたも…
悲しみが留まることの意義を多少話しました。その上で、死者の存在をわすれないこと、故人の生き方の良き部分を引き継ぐ努力をすることを話しました。
若松英輔『悲しみの秘儀』
逝った大切な人を思うとき、人は悲しみを感じる。だがそれはしばしば、単なる悲嘆では終わらない。悲しみは別離に伴う現象でなく、亡き者の訪れを告げる出来事だと感じることはないだろうか。 愛しき者がそばにいる。どうしてそれを消し去る必要があるだろう。どうして乗り越える必要などあるだろう。賢治がそうだったように悲しみがあるから生きていられる。そう感じている人はいる。出会った意味を味わうのは、その人とまみえることができなくなってからかもしれない。(17頁)
亡くなった人とまみえるという考え方は、法華経の寿量品の考え方でもあります。
釈迦が言った言葉として「常説法教化」が示されます。
過去の死者たちの声を聞きつつ、未来への責任を果たす。それを考えつつ今を生きる。そんな話をして終わりました。
午後は、お経の会という慌ただしくすごしております。