内包しながら通過する
何かを持っていないということは、必ずしもマイナスではないのかもしれない。
身に付けてこなかった習性、過ごさなかった環境、抱けなかった願望、湧いたことのない感情。
それを得られなかった代わりに、別の何かを得ていたり、「持っていない」という地平からしか見えないものが見えていたり。
自分ではそれが当たり前なので、他人から指摘されるまで気付けなかったり、あまりにも当たり前過ぎて特別なことだとは思えなかったりするのだけど、持たないことで得るものは、案外多いのかもしれない。
そういう意味では、すべてを持つ人はいないし、何ひとつ持たない人もいない。
何かを得れば、何かを失う。
何かを得られなくても、そのことで別の道がひらかれる。
何かを得ていく過程で喪失したように思われたものも、本当に消えてしまうわけではない。
現在はそれまでに通過してきた無数の過去を内包している。
衰退したものも、得られなかったものも、忘れているものも、すべてを内包しながら、その先に、そのどれとも違う姿で息衝いている。
そしてまた現在を通過し、呑み込みながら、次の場所へと生まれ直す。
更新していくことは、退化でも成長でもなく、その時々の必要に応じた代謝のような、呼吸のようなもの。
過ぎ去った時間より豊かになったわけでもなければ、貧しくなったわけでもない。
ただ比較しようのない唯一の時間として、ここに出現している。