現実で起きたことだけでなく夢の記憶についても同じなのだけど、嫌なこととも嬉しいことともつかない、自分にとっては印象深いものが、前後の文脈とも切り離されて、そこだけくっきり残っている。 そこに何の意味があるかというより、その記憶を繰り返し思い出すことそのものが、私にとって重要みたい。 ひとつひとつの記憶についての感触は、視覚だけでなく聴覚嗅覚触覚、温度、湿度、すべて動員された体験で、心理的にも不安と恍惚、孤独感と安心感、さまざまなものが同時に混在しているので、嫌なこととも良か
中学生のとき、歌詞のない、声そのものが楽器のように奏される、そういう歌が聴きたいんだけど、ないのかなという話を姉にしたところ(このエピソード自体は憶えてないのだけど)、ある日近場の音楽ホールでメレディス・モンクのチラシを見つけた姉が、これは!妹の言ってたものではないか?と直感し持ち帰ってきてくれた。 そのチラシに書かれていたモンクの音楽性についての文句(モンクだけに)を読んで何かがビビビと来てしまった私は、私の求めていたものはこれだ!メレディス・モンクは私のいちばん好きな歌歌
何かを持っていないということは、必ずしもマイナスではないのかもしれない。 身に付けてこなかった習性、過ごさなかった環境、抱けなかった願望、湧いたことのない感情。 それを得られなかった代わりに、別の何かを得ていたり、「持っていない」という地平からしか見えないものが見えていたり。 自分ではそれが当たり前なので、他人から指摘されるまで気付けなかったり、あまりにも当たり前過ぎて特別なことだとは思えなかったりするのだけど、持たないことで得るものは、案外多いのかもしれない。 そういう意味
変な時間に眠ると変な夢を見る。 ムーミンのことを思い出していたせいか、ムーミンの本の挿絵が妙に鮮明に、インクの滲みやぼかし、文字の周りにできる余白まで、詳細にクローズアップされて出てくる。 海の生き物たちがそれぞれの生きづらさをつぶやく独白が、手書き風の文字として挿絵のなかに織り込まれている。陸は海より悲しきものをというけれど、海だって皆かなしいのだ。寂しいのだ。水の中は青々として冷たい。ゆらゆらした存在として生きる心許なさ。忘れ去られてゆくかなしみ。「わたし」は存在した