原点回帰。
人類はどこから来てどこへ向かうのか。
そして今どこに立っているのだろうか。
科学革命で神を殺し人類至上主義を掲げ自然を支配することで近代が始まった。
そして欲望を中心とした競争により発展した資本主義と自由主義により人類は集から個となりそれぞれが独立した意識を持つようになった。
それにより今自分がどこに立っているのか、どこに向かえばいいのかわからない人が多いように思える。
それはやはり神や自然との訣別が大きな要因の一つなのではないだろうか。
太古の昔は人類は自然の一部だった。
自然を畏れ、自然を敬いその中で生きてきた。
偉大な自然の中を生きていくのは過酷なことだ。
しかし自然の一部である限り孤独を感じたり自分の居場所がわからなくなることはなかったのではないだろうか。
自然の一部であると言うことは死に対してもただ土に帰るというだけのことであり、そして土に帰った肉体は大地の養分となり他の生命体への糧になりまた新たな生命を産む。
自分を自然の一部と考えればその自然の中で命は循環し死と再生を繰り返す不老不死となる。
孤独を感じることもなく迷うこともない。
中世の頃までは自然の全ての生命には意思や目的があると考えられていた。
そして一人一人にも神が定めた意味を持っていた。
信じるものは救われていたのだ。
しかし科学革命以降自然はただの物質となった。
そして物質となった自然はただの研究材料となってしまった。
科学とは破壊して細かくしてもうこれ以上細かくできないところまで分解して初めてそのものを知る。
科学とは破壊行為によって得る知識なのだ。
目に見えるものを感じるままに素直に受け入れ自然と調和して生きていた人類は科学の発展と共に調和どころか次々に自然を破壊し続け、さらに個々の個性が強くなっていき人間同士ですらも調和できなくなってしまった。
その結果、孤独を感じ自分の居場所がわからなくなったのではないだろうか。
テクノロジーの進化によりどんどん便利になっていったが太古の人たちよりも幸せになったと胸をはって言える人はどれだけいるのだろうか。
近年ではキャンプが流行り田舎に移住する人が増えてきたと言われている。
田舎に引っ越して自給自足の暮らしがしたいと考えている人が増えているという。
私もその一人で移住をするために動いているのですが。
これはテクノロジーの発展により便利になった今よりも昔の人の方が幸せだったのではないかというところから生まれているのか?再び自然の一部になりたいと言う欲求なのだろうか。
テクノロジーというと単純に科学技術というイメージがあると思うが本来のテクノロジーの意味には『技』や『技術』の他に『知恵』や『藝術』という意味も含まれている。
要するに自然に対して人間が内側に抱く叡智が生み出す『藝術』と人間が外側に抱く自然に作用する為の『加工技術』という二方向の考え方を含めた概念のことを言うのだ。
テクノロジーの語源を遡っていくと古代ギリシャ語の『テクネー』にたどり着く。
そしてテクネーという概念を生んだ古代ギリシャの神話ではこの『技術』や『藝術』は人類が自ら生み出したものでも神から与えたものでもなく神から盗まれたものだと解釈されている。
その神話が『プロメテウスの火』
プロメテウスは天界から火を盗み人類に与えた事で人類に文明を発達させるきっかけを作ったことから文化英雄とも呼ばれていますが、この神話における火というのがテクネーだと解釈されていて、プロメテウスが盗んだ火こそがテクノロジーを稼働させる為の知恵であったというのです。
一般的に様々な用途がある単純なエネルギー源としての火の発見と利用は人類のテクノロジーの発展にとって重要な事でした。
実際この火を利用することで鉄などの金属の加工を可能にし、この鉄の利用が現在のテクノロジーには欠かせない道具を作り出す要因となってきました。
しかしプロメテウスは火を盗んだ事で最高神ゼウスの怒りを買いコーカサツ山の山頂で磔にされるという罰を受ける事になります。
こういった事からゼウスにとってこの火の知恵を人類に与える事はネガティブな事だったと考えられます。
ではなぜ人類にとってテクノロジー発展の要因とも言える火の知恵は最高神ゼウスにとってネガティブな事だったのでしょうか。
プロメテウスの火の神話にはテクノロジーに関するある重要な要素も語られています。
それが製鉄の技術。
人類史上最大の発明の一つとも称される製鉄の技術によってもたられる鉄はテクノロジーを発展させる上では欠かせない要因の一つです。
もちろん製鉄をするためには火の利用が必須なのでこの製鉄と火は世界中の神話においてもセットで語られる事が多いです。
というのもプロメテウスが人類に与えた火とはオリュンポス十二神の一柱であり、ゼウスとヘラの第一子であるヘパイストスから盗んだ火なのですがこのヘパイストスとは炎と鍛治の神様なのです。
そしてヘパイストスの火を盗むように提案したのが藝術や知恵の女神アテナ。
要するにプロメテウスが人類に与えた火とはアテナの知恵をきっかけに盗んだものだということなので、火と製鉄から発展していくテクノロジーの知恵とはヘパイストスの『技術の知恵』とアテナの『藝術の知恵』ということになり、まさに『テクネー』が『藝術』と『技術』を含んでいるということと神話における火の解釈が一致しており、こういった事からもプロメテウスが人類に与えた火とはテクネーであるという結論に至るのです。
テクノロジーに『藝術』という要素が含まれているのであれば今のテクノロジーが正しく稼働しているのか疑問に思えます。
科学は分解して最小単位にまで細かくする破壊行為であり、その細かくしたものを再びデザインし組み立てるのが技術。
人間が外側に抱く自然に作用する為の加工技術のみをテクノロジーとしてはいないだろうか。
テクノロジーの発展と共に自然は破壊されていきました。
都市部には作られた自然が少しあるくらいで殆どがコンクリートで出来た町。
そんな人間が加工した空間の中ではケミカルな叡智しか生まれず、もう一つの自然に対して人間が内側に抱く叡智による『藝術』は生まれないのではないでしょうか。
おそらく本来のテクノロジーを取り戻すには自然の中で感じるインスピレーションが必要なのです。
原点回帰とは今までの文明や文化を捨てて昔の生活に戻るという単純な行為ではないと思います。
現在のテクノロジー文明は生存競争という軸を中心に発展してきました。
それが人類に与えた恩恵は確かに大きく否定出来るものではありません。
ただこの生存競争を軸にしたままのテクノロジーではやがて限界が来ると言うことをギリシャ神話ではイカロスの翼という神話で伝えています。
神話においてイカロスは蝋で固めた翼によって自由自在に飛翔する能力を得ます。
しかし太陽に接近しすぎた事で蝋がとけて翼がなくなり墜落して死を迎えることになったのです。
この神話はテクノロジー批判神話の一種であり人間の傲慢さが自らの破滅を導くという戒めの意味もあったという解釈がされている神話でもあります。
そしてこのイカロスとは鍛治の神ヘパイストスから数えて七代目の子孫なのです。
使い方によっては人類を滅ぼすほどの強大な力になってしまったテクノロジー。
同時に世界中の人を幸せにすることもできる力を持っています。
今までテクノロジーを発展させるためにひたすら自然を壊してきました。
そして自然が壊れれば壊れるほど人類も滅びへと向かっていきます。
プロメテウスがヘパイストスの火を盗んで人類に与えた事から始まったテクノロジー文明。
それに対してゼウスは罰することになるのですけどその理由とは使い方次第で善にも悪にもなる強大な力を使いこなせないと考えたからではないでしょうか。
実際に人類をはテクノロジーを自然破壊や戦争の道具として使ってきました。
その怒りを鎮めるためには正しく使いこなすための叡智が必要になります。
その叡智とはまさに自然に対して人間が内側に抱く叡智が生み出す『藝術』であり、『藝術』と『技術』を調和させた正しい道を日本人は『道徳』と呼ぶのではないでしょうか。
そして忘れていたもう一つのテクノロジーの意味である『藝術』を取り戻しその相反する二つを調和した『道徳』を得るために必要なのが原点回帰なのかもしれません。
テクノロジーによって身を滅ぼすイカロスの世代とならない為に。