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「ゴルトベルク変奏曲 髙橋望によるバッハの世界」_2023年1月14日

よこすか芸術劇場で藤田真央さんのピアノを聴いた2日後、都内の浜離宮朝日ホールでピアニスト髙橋望さんによる演奏会、「喜び、哀しみ、嘆き、祈り ゴルトベルク変奏曲 髙橋望によるバッハの世界」に行って来ました。

「ゴルトベルク変奏曲」の演奏は髙橋さんがライフワークにしているもので、毎年1回行われる演奏会は、今年で10回目になるそう。

この曲は、当時14歳だったヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルク少年が、不眠症に悩むヘルマン・カール・フォン・カイザーリンク伯爵のために演奏する目的でJ.S.バッハが作曲したもの。

この逸話のために「不眠症の曲」と言われている曲ですが、世界で唯一チェロ1本で同曲を演奏する北口大輔さんの演奏会に行った際、北口さんは舞台上でこうおっしゃっていました。

「不眠症の人でも聴いているうちに眠れる曲だと思われていますが、眠れない夜を有意義に過ごす目的の曲であったと、僕は思います」※

この言葉に深く頷きながら、髙橋さんの「ゴルトベルク変奏曲」を楽しみました。

※ 当日の記憶を基に書いており、ご本人確認をしていません。そのため、上にあるご発言が正確でなく、意図や内容をミスリードしてしまう箇所もあるかと思います。何卒ご容赦いただけますと幸いです……m(_ _)m

■あまねく注がれる神の慈愛と、人々の暮らし

アリアから始まり、さまざまな変奏を経て、またアリアで終わる「ゴルトベルク変奏曲」。
髙橋さんの演奏を聴いていると、夕暮れに人々の穏やかな暮らしを俯瞰して眺めているような気がしました。

私の脳裏に浮かんだのは古い日本の家屋で、西日を背に受けながら、玄関先の水道で何かをすすぐお婆ちゃんの姿。傍らで周囲の砂利を踏みながら、小さな女の子が赤いボールを抱えて遊んでいる。もうそろそろ、家族の誰かも帰って来そうな時間帯ーー。

「J.S.バッハの曲はそんな庶民的な音ではない!」とお叱りを受けそうですが、演奏を聴きながら浮かんだのは、いろいろな人たちの穏やかな暮らしでした。こんなふうに、神様が慈愛の視線をあまねく注ぎながら見守っていることを、肌で感じる音だったのです。

きっと「第6変奏 ト長調 2度のカノン」に移った頃だったように思うのですが、ふとイメージが人から森林に移っていくのを感じました。
曲の抑揚に合わせてイメージは森林やサバンナなど移り変わり、鍵盤の上を髙橋さんの手が交差するときには、動物たちが跳ねながら移動していく姿に見えました。

ある場所で水が湧いたような気がし、徐々に勢いを増す流れに合わせて私も移動しているように感じ、そのうちにそれは川となり森の中央を通っていきました。
ちょうど鍵盤の上で狭い範囲で活発に動く髙橋さんの左手はあたかも川の流れのようだったのです。

「川の始まる瞬間を初めて見た!」
と流れとともに風景を眺めていると、遠くまで渡る左手の川を、鍵盤の端から端へと右手が跳び越えて行く。それはまるで動物の群れの移動のように見えました。音の高さによって、ウサギにもシカにも見えて楽しかった!

もちろんこの曲が生まれた頃、伯爵のベッドとゴルトベルク少年のチェンバロには距離があったでしょうし、演奏されたのは寝室とは違う部屋だったかもしれません。

しかし私は髙橋さんの演奏を聴きながら、耳に届く音はもちろん、目が捉える演奏中の手の動きも様々なイメージを想起させることに感動しました。
眠れぬ夜にこの曲を聴くことは、神経を癒し、現実と夢想の境界を曖昧に溶かすには十分だったろうと思うのです。

神の慈愛を肌で感じながら、人から自然へと視線を移していき、曲の冒頭と同じアリアに再び戻ったとき、まるで1日という長い旅を終えたような安らかな気持ちになりました。

2022年末は北口さんのチェロで聴き、年明けは髙橋さんのピアノで聴いたので、個人的に2023年は「ゴルトベルク変奏曲」とともに始まったような気がしています。

私の人生に音楽があって、心から幸福です。



【ききみみ日記】
★今回で投稿103回目になりました★
オペラ・クラシック演奏会の感想をUPしています。是非お越しいただけますとうれしいです。
(2022年10月10日~2023年1月15日まで101回分を毎日投稿していました)





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