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服のきもち_小説家の「片づけ帖」#8
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■服を捨てること、大事にすること
すとん! と音を立てて仕事がひと段落した、秋の昼下がり。
窓を大きく開け放つとよく晴れていたので、ふと思いつき、クローゼットの大掃除をしました。
我が家では衣替えをしない代わりに、定期的にクローゼットやチェストの大掃除をしています。
まずハンガーで吊るしている服を全て外に出し、しげしげと点検してから今後も確実に着るものだけ天日に干します。それからクローゼットの隅々まで掃除機をかけて、石けんとユーカリのエッセンシャルオイルを数滴たらしたお湯を使って、天井から床までまるごと水拭き。水分を乾燥させている間に、先ほど干さずに置いていた服を整理する。とりたてて書く必要もないほどシンプルな、これが一連の手順です。
私は服を整理整頓する際、修理すべきものはバッグに入れて横に置き、1~2シーズン着ていないものは、エイッ! と思い切って捨てています。
以前は寄付したりメルカリなどで売ったりしていましたが、寄附を受け入れていた団体のほとんどが、コロナ下で未開封の製品以外の受け入れを中止しています。また、クローゼットの中にずっと着ていない服が放置されているのを見るたびに何だか気の毒になりますし、いつ売れるか分からないものを所有し続けているのが煩わしくもあるからです。
さて、今日も一連の手順に則り、吊るしていた服を外に出し終えてビックリ! クローゼットの隅に、黒いジャケットがクリーニング済みのタグをつけたままグシャグシャに丸まって落ちているではありませんか。
記憶をたどってみると、点と点がゆっくりとつながっていきます。確か袖口に半透明のマニキュアをべっとりと着けてしまい、ダメ元でクリーニングに出したものでした。信頼しているプロが染み抜きを試みてもやはり落ちなくて、引き取ってそのままクローゼットに吊るしていたのです。
「よく見なければ分からない、小指のツメほどの染み。クリーニング代を支払ったばかりだし、捨てるには惜しいー-」
そう思って仕舞い込んだけれど、袖口は名刺交換をするときに必ず相手の視界に入る場所です。いざ着ようとして服に手を伸ばす時、並んでいる中から万全なコンディションのものばかり選ぶのは自然なことでしょう。結局は袖を通さないまま時間だけが経ち、しだいに奥へと追いやられたジャケットは何かの拍子にハンガーから滑り落ちて、そのままになっていたのだと思います。
ふと、黒い塊が私の怠惰と執着の結晶のように見えて、そのジャケットがかわいそうになりました。
■服のきもち
いつものクリーニング店から帰宅したとき、主人である私が捨てなかったことにジャケットは安心して、最初は喜んだかもしれません。
「大事にしてもらえた! そうだよね、だってよく見なければ分からない染みだもん。こんなの平気だよ。ありがとう。これからも仕事をがんばるね!」
その後、私がクローゼットを開く度にジャケットは目を輝かせて、主人に向かって勢いよく挙手していたのかもしれません。
「はい! 私ここにいまーす!」
「いつ出番が来てもいいように、万全に整えて待ってるよ!」
「今度こそ私の順番だよね!」
それでも主人の視線はいつも自分を素通りし、隣りのメンバーにばかりお呼びがかかる。最初はメンバーを見比べて迷っていた主人だが、いつしか迷うことさえなくなっていく--。
最初はやる気に満ちていたジャケットの心もいつしか重くなり、そのうち選ばれない淋しさから挙手を躊躇うようになっていく。
そして、頻繁に出番の巡る服たちがクローゼットの前方に集まっていく中で、抜かされた拍子にハンガーから滑り落ちても自分は主人に気づいてさえもらえない。
「どうして!? このくらいの染みなら大丈夫って言ってくれたの、ご主人じゃん! こんなふうに飼い殺すなら、最初から天に返してよ! そうしたら今頃は別の服に生まれ変わって、きっと仕事を通してご主人に喜んでもらえていたのに」
ずっとこう思っていたかもしれません。そして、主人である私がこのジャケットの存在を思い出した時、ジャケットが淋しさを覚えてからどれほどの時間が経っていたのでしょう。
童話のようだと笑われるかもしれませんが、私はついこんなふうに擬人化して、服の気持ちを妄想してしまうのです。
■妥協と冒険の微妙な違いに向き合う
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