あいトリ2019の騒動をキュレーションのせいにしてる人達について思うこと

もし、あいトリ2019の不自由展がネトウヨに発見されず炎上させられることがなければ、キュレーションがダメとか言う人がこんなに出てきたかなというのは当時からかなり疑問に思ってて。

キュレーションが〜って言うことで一見正当な評価をしてますよ的なポーズを取ってるけど、要はお前が余計なことしたせいでこっちまで迷惑かけられてんだよって言いたいだけなんでしょと思ってた。
で、あの騒動の渦中にその態度でいることがどんな結果を生むのか、なんで気付かないんだろうってずっと思ってた。

なんで対岸の火事みたいな態度してんだろ、あんたも攻撃されてんだよ、他人事じゃないんだよ。現代アート全体がネトウヨに次の攻撃対象として発見されて暴力に晒されてる中、今違う方向から一緒になって攻撃してる場合?それネトウヨに好都合なだけじゃん。今一緒に闘わなくてどうするの!!
ってずっと思ってたけど、多分冷笑主義を知性と勘違いしてるか、自分とその周りだけが大切な人達なんでしょうね。

私はアートで社会は変えられると信じてるし、アーティストや美術関係者の根底にはそういう想いがあるんだろなとなんとなく思ってたから心底ガッカリした。
作品や展示で社会改革みたいなこと二度と語らないでほしいけど。

チンポムの《気合い100連発》は2014年のマインドフルネス展の時名古屋市美術館でも展示されてたけど、ネトウヨが発見するまでは騒動になってなかったよね?
あいトリ2019の不自由展以外の展示では、豊田市美術館にあった高嶺格さんの《NIMBY(Not in My Back Yard)》とか、名古屋市美術館にあった藤井光さんの《無情》とか同じように物議を醸しそうな作品に思えるけど気付かれなかったよね?
その差は?

ネトウヨさん達最初から作品なんて観てないよね。キュレーション関係ないよね。
キュレーションの問題にしたい人達はただ単に騒ぎにさせられたことにムカついて、やり方がマズかったってことにしてるだけでは??
ネトウヨさん達が崇拝する有名人が、今日からこれ攻撃しまーす!って合図出したらどの作品でも攻撃されるんだよ。どんなキュレーションであっても。

《平和の少女像》や《遠近を抱えて PartⅡ》を展示の中に入れなければ良かったとも思ってなくて。
だって、どっちにしろいつかは何かの作品で発見されて、そこから攻撃されてるはずだから。時間の問題なのは明らかで。
その攻撃の矛先が自分に向けられる可能性もあったかもしれないのに、他人が対象だとよく気楽に責められるよな〜
狭い世界にいすぎて周り見えないんだろな。
#art #アート
#あいトリ2019 #あいちトリエンナーレ2019

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