「平成美術:うたかたと瓦礫デブリ 1989–2019」のカオスラ資料展示について
行った感想としては、資料展示になった理由が何故どこにもちゃんと明記されてないんだろうとすごく引っかかった。 加害者を含むグループの展示があることについて、何故資料展示という形で展示したのか、これだけ騒ぎになっていて現在も係争中というとてもデリケートな件なのに、ほとんど何も知らせずにカオスラの名前を展示の中に加えているのは不誠実ではないかと思った。
黒瀬陽平氏の加害の事実や彼の顔など何も知らない人からすると、資料展示があることすら気付かないかもしれないし(10の場所がカオスラ。展示と展示の間の狭く薄暗い壁にひっそりと貼られてるので見落とす人多いと思う。資料展示があることを知っていた私も最初にぐるっと一周した時は気付かなかった)、
ハンドアウトには「トラブルにより〜」と書いてあるけど展示の文章には何も書かれていないので、どうして作品がなくて資料だけなのかという理由は何もわからないだろうなと思った。
(ハンドアウト)
(資料展示)
ただ、フライヤーにもハンドアウトにも(買ってないけど)おそらく図録にもカオスラの名前は載ってるだろうから、公立の美術館で加害発覚後も問題のある作家の展示があったという事実は残る。しかもその問題の部分ははっきりさせないまま。
(フライヤー)
何も知らない人からすれば、他のグループ作家と同じように美術館で展示されるべきアーティストに見えると思う。そういう扱いだと感じる。
加害の事実を知っていて性被害の経験もある一鑑賞者としては、公立の大きな美術館の展覧会で性加害者の顔が映像として見える場所にあるのは少なからずショックだった。 その映像は展示室に入る前、さぁ観るぞー!と思って入口の方へ向かおうとしてる時に1番最初に目に飛び込んできて速攻ダメージ受けたし。
何も知らない人にもわかるような説明がほぼなく結果として普通の参加作家のような扱いなのも、公立の美術館が加害者にお墨付きを与えてるようで私まで傷つけられたような気持ちになってしまった。
展覧会にどれくらい時間がかかるのか何もわからないで無責任なこと言うけど、去年の8/1に安西さんが告発してから展覧会が始まる1/23までの間にもっと別のやり方で展示するとかできないものなんだろか。 資料展示になった理由をちゃんと書いて展示する、ハンドアウトもフライヤーも図録も、後からシールでもいいから理由を明記して、あるまじき行為があり到底受け入れることはできないという毅然とした態度を表明することはできなかったのかな?
その上で展示するという判断ならまだわかるような気もするけど、何の態度表明もなく、なんとなく目立たなくしてやり過ごそうとしたように見えるところが1番引っかかってる。
もしくは今回の事態を受けてと説明して、きっぱり丸っと展示しない、名前を残さないという選択はなかったのかな?
これが例えば別の事件の容疑だったらこういう展示になったかなとかちょっと思ってしまった。もっと深刻に扱おうという気になってもらえたんじゃないのかなとか。 あとキュレーターが女性だったらもっと違う形になったんじゃないのかなとかも…
多分コロナもあるし時間のない中こればっかりに関わってることもできなかったんだとも思うけど、素人目には加害者(加害)を容認しているように受け取れる展覧会だと言われても仕方ない気がするな…
展示全体のこと考えたかったけど、引っかかってしまう展示があってそっちに気を取られてしまったのが残念だった。
展覧会のプロセスもここで示されていた美術史も男性中心なんだよなやっぱり…
日本のアート業界、荒木経惟氏も未だにお咎めなしで普通に展覧会やってるし、石川康晴氏も相変わらず活躍してるし、やっぱり自浄作用はない場所なのかな。悲しいな…