「勉強しろ」と言われたことのない東大生

3月13日夜のTBS系のテレビ番組『中居正広のキンスマスペシャル』に、人気クイズ番組『東大王』のレギュラーである水上颯、鶴崎修功、鈴木光、林輝幸の4氏がゲストとして出演しました。
4氏がどのような家庭で育ったかを親へのアンケートで明らかにし、本人たちからは子供の頃にどのように勉強したか、何に関心があったか、などを聞き出していました。

10日に東大・理科1類に合格した私の娘の育て方も思い出しながら、子供が自発的に勉強するようになるために、親がすべきことを書いてみます。

知的刺激を与える

4人に共通していたのは、親から「勉強しろ」と言われたことがない、ということでした。
親御さんたちに共通する思いは、「興味を持ったことを、とことん追求させてあげたい」ということかもしれません。
そのために、面白そうな知育玩具を次々とさりげなく置いてみたり、ブックオフでいろいろなジャンルの本を大量に買ってきたりして、知的刺激を与えることに努力していたようです。
「カブトムシが欲しい」と子供が言えば、どこかで買ってくるのではなく、木に砂糖水(?)を塗ってカブトムシが集まるようにして、それを子供と一緒に取るというように、子供がリアルな体験をするために手間暇を惜しまなかったことも分かりました。

「勉強しろ」と言わなくても、子供が学ぶことの面白さに気づいて自発的に勉強してくれれば、こんなに素晴らしいことはないでしょう。
でも、ことはそう簡単ではないですね。

親が「勉強」している姿を見せる

勉強して知識が広がり、興味が出てくると、もっと学びたくなり、その結果、成績も上がる、という好循環になれば、もう親が口出しする必要がないということになります。
この好循環に持ち込むために4氏の親は知恵を絞ったようです。
知育玩具や本の導入は、比較的容易に真似できそうですね。

もう一つ大切なことは、両親が常に「勉強」する後ろ姿を、子供達に見せていたことです。
家庭の中に「勉強」する「雰囲気」が充満していて、広い意味での「学び」が日常になっていることが、「勉強しなさい」と子供に言わなくてよくする方策かもしれません。

私も妻も仕事柄、それなりに本を読み、ネットで情報収集もしており、そうした姿は子供の目にも入っていたことでしょう。
娘が高校生になれば、自分が読んで面白かった本、例えば『利己的な遺伝子』(リチャード・ドーキンス)、『銃・病原菌・鉄』(ジャレド・ダイアモンド)などを、「興味があれば、読んでごらん」と言って手渡しました。

娘から感謝された計算練習

私が娘の勉強に関わったのは小学校4年までです。小学校高学年以降は、本人の自主性に任せていました。中学に入学したあたりから、自覚的に勉強をするようになったような気がします。

高校生になって、将来勉強したい方向が見えてきて、東大を受験すると決めると、勉強量が飛躍的に増えたようです。
高校3年の4月まで続けた部活動で養った体力も、最後の追い込みに役立ったかもしれません。

娘から勉強の指導で唯一(?)感謝されたのは、小学校1〜4年で、徹底して計算練習させたことです。
4年生では2桁同士の100マス計算をほぼ毎日、足し算・引き算それぞれ一枚(各100問)やらせていました。
2年生までは60問程度、3年生で100問に増やしました。

足し算

中学、高校と進むにつれ、数学や理科の問題が複雑になっていく中、
計算で間違えたり、引っかかったりすることがあまりなかったことが、
効率的に勉強をする一助になった、とのこと。

4年生ごろまでは、計算と漢字をほぼ毎日やらせて、嫌がられました。そのおかげで計算力がつき、机に向かう習慣もついたと思います。残念ながら漢字については、成功したとはいえない結果に終わりました(笑)。

復習よりも予習を優先

4氏の話で、学校の勉強では、復習よりも予習を優先する、というのも納得感がありました。
意訳すると、予習は前に進むというイメージで、復習は遅れているものを追いつくイメージ、なのでしょう。
優秀な彼らだから予習優先と言える面もありますが、勉強が苦手な子こそ予習することで、事前に習うことをイメージし、自力では分からなかったことを授業中に理解するよう努めることが大切かもしれませんね。


とりわけ進度が速くなる中学では、勉強の苦手な子が下準備もなしに授業を受けたのでは、分からないところが出てくるのはよくあることです。

その場で、あるいは授業直後に教師や友達に尋ねて、疑問を解消すれば問題ありません。しかし、勉強の苦手な子は、授業が終われば、やれやれという気持ちになり、疑問は先送りされがちです。

その結果、復習で問題を解こうとしても解けないことが起きてしまうという悪循環に入ります。そして分からないことが増えてくると、手に負えなくなります。

板書の通りにノートに写す

鶴崎氏の「板書の通りにノートに写していた」、という発言も参考になりました。
ある程度の経験を持った教師の板書は、簡にして要を得ているはずで、なまじ、自分で整理するより分かりやすくまとまっているはずだからです。

ノートを写しながら、教師の雑談も含めて、授業を記憶するようにしていたと鶴崎氏。そうすると後から思い出しやすいといったあたりは、実践するのは容易ではないかもしれません。


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