流れの中にいると安定する

第1回の読書会を終えて、自分が力を発揮できる「環境」とは何か。そのことをずっと考えている。これはおそらく、読書会のパートナーである田中伸之輔くんの専門である心理学的な問題でもあるし、彼と出会ったきっかけになった「研究的実践を組みなおす」と題したZINEの中のテーマでもある。

私が大学院時代、ローカルフェス主催者(organizer)研究を通して、辿り着いたキーワードが河野哲也さんの「社会的アフォーダンス」というものだった。個々人の快適な生き方に沿ったアフォーダンスを設計することは、合理的な最適解を環境に埋め込むような、環境管理型権力(東浩紀)の前面化を招くことにつながる。その中で、予測ができない他者や自然を、予測できないものとして分かり合い、そこから事後的にルールが設計され、それは常に改変されていく。まだ読んでいないが「訂正可能性」(東浩紀)的なものとして揺れ動いていく。それが自分が力を発揮できる環境ではないかと考えている。

私は、札幌の中島公園にあるコンサートホール「Kitara」の一室で仕事をしている。その時空間は、まさに構造的な音楽の解釈が求められる静的な時空間であり、「フェス」とは真逆の時空間である(実際は、コンサートホールもフェスも流動的なことは「4分33秒」(ジョン・ケージ)や「ミュージッキング」(クリストファー・スモール)で実証・論証されているが、それはひとまず置いておく)。地下鉄の中島公園駅から、Kitaraに向かう道中、公園内の池は、冬季の間、凍結しており、動きを止めている。それと合わせて公園内の木々や動物も雪に覆われ、息を潜めている。もちろん人間も。
 春になると、池の氷は解け、その内側にあった流れが露になる。講演に棲みついているカモやかもめ、アオサギが一斉に活動を始め、人間のカップルも同じようにボートを漕ぎ、池の中を旋回している。この流れを観ているとき、私の心身は落ち着く。一方で、その流れが止まっているかのように見える、仕事場に着き、事務的な仕事をすると、一気に疲れが押し寄せ、文字通り「肩が凝る」。

私の一番の夢は「肩が凝らない」こと。その夢が叶ったらまた次の夢が見えてくる。これは、田中くんの「research note」が、「湖畔の制作室」へと変容したこととも繋がる話だろうか。今度の読書会で聞いてみたい。

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