
読書記録|手づくりのアジール(青木真兵 著)⑬
12月14日(土)に自宅(集合住宅)1階の一室で「homeport」のお披露目会を行った。「homeport」は副題に「北20条にあるもう1つの母校(港)」とし、既存の大学と社会のあいだに存在する小さな学舎を意味している。
homeportはそのコンセプト通り、北海道大学とまちの境界線上に位置している。私自身、2008年に北海道大学大学院に入学して、2年後には修士号を取得し、東京(社会)に戻るはずだった。実際、就職をして、社会に戻ったのだが、心はいつも北大に在った。
あの環境の中で、研究を通して世界と対峙しているとき。そのことを共有する仲間や先輩、師匠がいるとき、心はどこまでも自由でいられた。それは身体も然りだろう。
その後、幾度となく体調を崩す中で、実際に北大周辺に戻り、職を転々としながら、家も転々とした。北18条~北24条の狭いエリアで、「再起」を図ろうと何度も引っ越しを繰り返し、お金も健康もなくなっていった。その中で、ずっと気になっていた現在の家に、2022年の8月に引っ越しをした。家のベランダに出ると、北大の森に取り囲まれる。朝から夜への時間の移り変わりを感じることが出来るし、野鳥やきつね、エゾリスも見かけることができる。ここは自分にとっての六本木ヒルズで、もう何も目指さなくてよい場所、再起を図らなくてもよい場所になった。
そんなとき、廊下で建物のオーナーさんと出会い、最初は挨拶程度の会話から、やがて自分のhomeport構想を話すようになり、たまに飲みに行くようになり、建物の一室を実験的に使わせてもらうようになった。
研究は社会に出て活躍し、上を目指すための手段ではなく、今この世界を豊かに生きていくための相棒として、存在するもの。私はようやく研究者になろうとしているのかもしれないし、それは世の中的には研究者ではなく只の人なのだろう。只の人であるとどんなに世界が豊かに見えるか。それをこの2年間で痛いほど実感した。それはhomeportを通して出会った人からもたらされたものである。
homeportは研究のレコーディングスタジオと宿を兼ねている。お披露目会の後は、苫小牧から来た池内君がそのまま宿泊。翌日はhomeportの前庭である北大構内を歩きながら、聖地「北のたまゆら 桑園」で朝ぶろを堪能した。桑園駅前の老舗喫茶「SOEN COFFEE」でモーニングを頂き、今度は北大農場の道から、構内へと戻り、ジンパの歴史について語りながら、北大ななめ通りの喫茶ペエジ。へ。気がつくと私は、北20条の移住促進課になっていたのだった。「これは私にとっての仕事かもしれない」と話すと、池内君は「仕事とはちょっと違うんじゃないですかね?」と応答した。「確かに。ライフワークといった方がいいかもね」と私はそのとき答え、自分自身でも納得した。しかし、これは紛れもない、私の仕事であり研究なのだと思う。これを仕事と呼ぶと、ここに流れている時間が嘘っぽくなり、貨幣価値に換算されてしまうと思ってしまう社会があるから、仕事と呼ぶことを躊躇させるのであって、これは自分の中では、まぎれもない仕事だ。
その後、池内君は部屋(homeport)に戻り、私は4階の自室に戻った。ひと眠りして、1階に降りると、彼の車があり、そろそろ帰らないと明日(仕事)もあるし、まずいのではないかと思ったら、ドアから彼が現れた。
彼を見送るという行為が、またhomeportを地元たらしめる。その後、この1週間の疲れを取ろうと私は整体に向かったが、施術を受けながら、「あっ、今の身体には整体が必要ない」とはっきりと実感した。こんなこと初めてかもしれない。”社会人”になってから、いつも整体が必要な人生だった。homeport自体が整体のような存在なのかもしれない。何だか、ずっと幸せな気持ちで、家路についた。
「ルチャ・リブロを読み直す」第5回読書会
課題図書:青木真兵(2021)『手づくりのアジールー「土着の知」が生まれるところ』晶文社
第6回:「手づくりのアジールー「自分のために」生きていく」(P159-177)
2024年12月21日(土)9:00~11:00
会場:homeport(北20条)or オンライン
どなたでも参加可能です。参加希望の方は下記までご連絡ください。
tourismusic.station@gmail.com