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健康

養老 いつでも飲めるよう水をコップに入れ、被験者の前に置いて脳波を測る実験があります。1970年代の、とても有名な実験です。被験者は「飲みたいから飲んだ」と言いますが、実際には筋肉を動かす脳波の方が、本人のその意識よりも0.5秒早い。つまり、意識は調整をしているに過ぎない。意識というものは後付けだということが、脳科学でわかってくる。たとえば、目から入ってきた情報と耳から入ってきた情報には当然、タイムラグがあるけれど、そのズレを調整しています。

坂口 自分では、意識も理屈も後で来るってことはわかってるんです。社会的なことも、お金も、後から全部やって来る。でも、それを知っていても鬼ごっこをやるのが僕のゲームです。子供の頃、鬼ごっこをするぞと思った時は、あらゆるものが隠れ場所に見えた、あの感覚が好きで。

坂口 自分の家には書斎があって、その横に絵を描くスペースがあって、朝起きたらまずどこへ行くのか。何をするのかじゃなくて、どこに動くのかを見ています。確実なのは、それでどんどん健康になってきていること。仕事として上手くいくとか、いい作品を描くというような意識はもう、ゼロです。

養老 進化でいえば、人間の意識はいちばん最後にできたものです。シミュレーションもそうです。でも本当はそれを支えているものがもっと深いいちばん底の部分にあるはずで、意識はそこから生成されてくるはずなんです。

坂口 身体が流れていれば自然と腹が減り、喉が渇き、気になる人の名前が思い浮かべば便りを出すーそういうことが止まっちゃってるのは、ヤバいですよね。いつのまにか好きでもないことばかりやっていて、やりたいことがわからない。だから、「いのっちの電話」では、好きなことじゃなくて、「一番ましだったこと」を訊くようにしてますけど。

養老 今日は、「これから意識が生まれてくる状態」を坂口さんのなかに確認したような気がします。

坂口恭平×養老孟司「意識の芽生え、意識のゆくえ」(芸術新潮 2022年11月号)より、一部を抜粋

 8月28日(水)に開催したsoundtracks Vol.2「コミュニケーターのアイデンティティ」の直後、以前に読んだ坂口恭平さんと養老孟司さんの対談を「再読」した。homeportは、当初、「研究者としての第三の道」を模索するところから始まっているのは間違いない。大学でも民間でもない、第三の研究者の道。それが、田中伸之輔くんとの対話の名から生まれてきた「町医者としての研究者」という発想だ。
 「研究者としての第三の道」という言葉や発想は、まだ社会の側に引っ張られている。そもそも道なんて複数が共存しているもので、三つに固定化することは本意ではない。以前、とある企業の人とタッグを組んで「博士取得後の研究者の第三の道」プロジェクトを進めようとしたとき、徐々にそれが私の本意ではなくなってきて、「降りたい」とその人に伝えた。
 すると、その人は、これまで聞いたことのない罵詈雑言をメールに投げかけて来て、一緒に取り組もうと思っていた大学院の後輩も体調が悪くなりかけた。「おまえなんて、どうせまだ博士も取っていない中途半端な存在なくせして」というような内容を、手を変え品を変え、メールで伝えてきた。今、思えば、その言葉に傷ついているというより、なんで、その言葉を投げ掛ける必要があるのだろう。そして、その人もなぜそんな言葉を投げ掛けなくてはいけないんだろう。
 私は、その人がどれだけこのプロジェクトに賭けているかを分かっていた。だから、その裏返しとしてその言葉を発したこともよく分かっているつもりだった。

 だから、その人が、今、「健康」であることを心から祈っている。そして、今、上記に書き連ねた言葉は、当初この記事を書きはじめるときに想定した内容とは全く異なるものだ。それは、「soundtracks Vol.2」のなかで議論された「つくりたいことから解放されること」や「エクセル的知性・パワポ的知性・ワード的知性」、「根を下ろすこと」にも繋がると思う。

 私はsound tracks Vol.2の当日、約1年ぶりに風邪をひいた。それから、約4日という短いスパンで、本日Vol.3「治さない地域おこし協力隊」が開催される。風邪をひいても、最近は悩みがないから、頭の引っ掛かりがなく、どこまでも飛んでいきそうになる。しかし、これまでのように躁的になることはなく、だからといって引き金を引いて、自らを抑制することもしない。ただ「そういう状態」にあることを観察する意識だけ「確か」であれば、落ち着く時期が到来するだろう。その意味するところは、パワポ的知性やワード的知性では組み尽くせない音楽的知性に行き着くのかもしれない。






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