健康
8月28日(水)に開催したsoundtracks Vol.2「コミュニケーターのアイデンティティ」の直後、以前に読んだ坂口恭平さんと養老孟司さんの対談を「再読」した。homeportは、当初、「研究者としての第三の道」を模索するところから始まっているのは間違いない。大学でも民間でもない、第三の研究者の道。それが、田中伸之輔くんとの対話の名から生まれてきた「町医者としての研究者」という発想だ。
「研究者としての第三の道」という言葉や発想は、まだ社会の側に引っ張られている。そもそも道なんて複数が共存しているもので、三つに固定化することは本意ではない。以前、とある企業の人とタッグを組んで「博士取得後の研究者の第三の道」プロジェクトを進めようとしたとき、徐々にそれが私の本意ではなくなってきて、「降りたい」とその人に伝えた。
すると、その人は、これまで聞いたことのない罵詈雑言をメールに投げかけて来て、一緒に取り組もうと思っていた大学院の後輩も体調が悪くなりかけた。「おまえなんて、どうせまだ博士も取っていない中途半端な存在なくせして」というような内容を、手を変え品を変え、メールで伝えてきた。今、思えば、その言葉に傷ついているというより、なんで、その言葉を投げ掛ける必要があるのだろう。そして、その人もなぜそんな言葉を投げ掛けなくてはいけないんだろう。
私は、その人がどれだけこのプロジェクトに賭けているかを分かっていた。だから、その裏返しとしてその言葉を発したこともよく分かっているつもりだった。
だから、その人が、今、「健康」であることを心から祈っている。そして、今、上記に書き連ねた言葉は、当初この記事を書きはじめるときに想定した内容とは全く異なるものだ。それは、「soundtracks Vol.2」のなかで議論された「つくりたいことから解放されること」や「エクセル的知性・パワポ的知性・ワード的知性」、「根を下ろすこと」にも繋がると思う。
私はsound tracks Vol.2の当日、約1年ぶりに風邪をひいた。それから、約4日という短いスパンで、本日Vol.3「治さない地域おこし協力隊」が開催される。風邪をひいても、最近は悩みがないから、頭の引っ掛かりがなく、どこまでも飛んでいきそうになる。しかし、これまでのように躁的になることはなく、だからといって引き金を引いて、自らを抑制することもしない。ただ「そういう状態」にあることを観察する意識だけ「確か」であれば、落ち着く時期が到来するだろう。その意味するところは、パワポ的知性やワード的知性では組み尽くせない音楽的知性に行き着くのかもしれない。