スポット化する琴似(まち)
週末、生活支援型文化施設「コンカリーニョ」で行われた「妖怪百歌物語~天狗編~」を観劇したあと、一緒に行ったあべくん、宮ちゃんと琴似の街を歩きながら飲み屋を探した。
偶然が大事とかいいながら、抜かりのない私は、店の予約が頭をよぎったが、何時に終演するか分からなかったし、まあ、何かまちなかを歩いて適当に気になった店に入ろうと思っていた。
とかいいながら、以前行ったことのある店を目指すが、お休み。その後、ダラダラと歩きながら、空いている店もあれば、既に予約が一杯の店も。何となくしっくりこないまま、琴似のメインストリートを北上した。
歩きながら、何だか街中が暗いような感触があった。店の数が減ったのか、自分の思い過ごしか。宮ちゃんが「前回来た時は、もう少し早い時間だったから、単純に暗く感じるんじゃないですかね」と言って、確かにそれもあるなと思った。ここは理系の知がなせる技か。
いや、それにしてもまちが暗い。ひっそりと静まり返っている。でも店に入ると、お客さんでごった返してる店も少なくない。問題は、店と店を結び人の存在の不在だ。みんなモバイル機器で「予め」、予約をし、個人的な集まりの場を先回りして決めている。そんな断片的な、スポット的な物理的な場との関わり方は、いずれまちの生命を失わせるように思えた。この夜の旅の始まりは「生活支援型文化施設」だったが、生活自体が大きく変容しているし、人の気配が最近感じられなくなった。SNSはこれまでにない繋がりをもたらす一方で、まちのスポット化を加速させる。そこで、量的に収穫されたいいねは、まちの界隈性に還元されない。
homeportで民泊をするにしても、まちをスポット化する、駐車場的な民泊にするつもりは、さらさらない。血を通わせて、まちを歩くことで、生気が漲るような宿をつくりたい。
(担当:山崎)