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へび山からはじめてみる

 週末は、homeportの学友である藤林さんと真駒内に出かけた。目的地はまこまる(旧真駒内緑小学校跡利用施設)内の「子ども体験活動の場 Coみどり」。
 homeportには、実はLINEグループが2つあり、homeport本体とは別に「北大ななめ通り同好会(homeportサポーター)」と題したグループがある。誰かと物理的に近接した”空間”に住んでいても、同じ”場所”を共有する住人とは言い難い。それが都市部に暮らす人の一般的な感覚だろう。私もそうだ。特に北大ななめ通り付近は、単身者や学生が多いため、ベッドタウンとしての機能が強く、コロナ禍を経て、その傾向はより強まっているように感じる。
 この北大ななめ通りに住んでいる人と出会ってみる。いつも何気なくすれ違っている人と出会い直してみる。それがhomeportという場が存在する意味の一つだと思っている。一昨年、とあるイベントのバイトの休憩時間に何気なく会話を交わした人。その人は、ななめ通りの先にある集合住宅に住んでいた。その人は、以前から私が気になっていた、ななめ通りにある北陸銀行社員寮「幌北荘」の(旧)住人とも接続していた。そんな私の、というか、homeportの強い意志から生まれた偶然の出会い。そこから生まれたのが「北大ななめ通り同好会(homeportサポーター)」だ。
 そのメンバーと近々、北村匡平著(2024)『遊びと利他』(集英社)の読書会をやることになり、その流れで、メンバーが関わっている「子ども体験活動の場 Coみどり」に行ってみることにした。
 「その日はこどもとピザつくって、カフェやってるから」と言われ、単純にピザでも食べに行きがてら、こどもたちの遊び場を見学するつもりだった。しかし、会場に着くやいなや「せっかくだから、手伝っていけば」とエプロンを渡される。エプロンを着けたのは、はたしていつぶりだろうか。ふと、熊本での小学生時代、広安西小学校の家庭科室でエプロンを着けて、大学芋をつくったことを今この文章を書きながら思い出した。
 台所に入り、こねられたピザ生地を丸く伸ばし、トマトソースを塗って、たまねぎ、じゃがいも、ピーマン、コーンを乗っけて、最後にチーズをかける。なんだ、今の俺に必要なのはピザをつくることだったんだと気づく。転職情報誌を読んで、自分の将来に不安を抱くことではなく、ピザをつくることが今自分がしたいことなのだ。
 校庭に向かうと、お手製のピザ窯で焼かれた香ばしいピザが完成していて、一つ頂く。大人は200円。副鼻腔炎でほぼ嗅覚はないのだが、つくる時間、誰かと出会う時間には、何だか少し匂いが戻っている気がする。匂いは記憶と関係しているのかもしれない。
 ピザを食べ終えた後、なんとなく傍にあった焼き芋を焼いていると、次のピザが運ばれてきたり、「焼き芋ありますか」とこどもがやって来る。いつしか、そのまちの住人のようになってしまった。近くにいたこどもとたわいもない話をして、雪を遠くへ投げ合ったり。何度も雪を投げてくるから、自分も投げ返すと、顔の近くに当たった。「あっ、ごめん」というと、その倍の強さで雪がどんどん飛んでくる。
 こんな瞬間あったな、とふと思い出した。本気になって遊んでいたら、ふとした瞬間、喧嘩になりかけて、でも最後にはもっと仲良くなって、いつの間にか日が暮れて互いの家に帰る。気がつくと私は、多摩ニュータウン諏訪地区の「へび山」にいた。大人の身体であの場所に帰ったとき、「この公園、こんなに小さかったっけ」と思った。雪が降った日にそりをした傾斜のついた場所や、公園と団地のあいだにある小さな森林地帯。そこにはヘビが住んでいて、私はそこを「へび山」と呼んでいた。そのどれもが大人になってみると、ミニチュアのように感じられた。でも、確かにあの頃、あの場所の内側に住んでいたこどもにとって、そこは「へび山」だった。

 そして、私はまだまだ冒険している。あの「へび山」とは何だったのか。私たちが暮らしてきた多摩ニュータウンとは何だったのか。そのことを考え続けたい。真駒内の遊び場が、あの日のへび山へと繋がっている。その想像力の回路を持ち続けるために、homeportの火は灯し続ける。
                          (担当:山崎)

 


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