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人それぞれ

今日、ADHDを調べてもらった診療所へ行ってきた
そこでイライラを落ち着かせる薬を前回出してもらって今回も継続していきましょうか、という話だった
そこで、なんとなく感じていた違和感を覚えた

診療所の先生って、安心感のある感じなのかなぁと想像していたのだけど、逆にぎこちなく、言葉を選んで話してくれてるのかもしれないけれど、まるで先生の方が挙動不審かのように感じたのだ
そして、この先生が何かおかしいのではないかと感じたのが確信に変わったのが、先生としては効果を感じたなら薬は継続して良いと思いますと言ってきた
私は薬はいずれ飲まなくしていきたいと思うと言ったら、継続でいいと思うし、それでイライラが減るならむしろ飲まない理由がないでしょ、と

えっ、待って待って
それって薬に頼らないと生きていけなくなってもいいじゃん、て言ってるようなものよね?
私はそういう生き方をしたいわけじゃなくて、いつかは薬を飲まなくてもいい体にしたい
それは先生の見解とはズレていると感じた
医者は山ほどいて、症状に対して思う事も人それぞれだとわかったし、今までだったら先生が言ってる事だから…って全て受け入れてしまうところがあったけれど、今は私は話を聞いてどう感じたのか?とても丁寧に感じるようにしたら、今日の私にとってはとても違和感満載で、なんなら薬を他のところで出してもらえるならこの先生の所には通わなくてもいいやと思うほど
次回にも同じことを感じるようなら、もう行くのはやめにしよう

いつだって私が決めていいし感じたまま生きていっていいのだから
そう思うととても気持ちが軽くなったようで今日自分が選択した事にもじっくり向き合える気がする
誰かに言われたとおりに生きてるわけじゃない全部自分で決めてるんだ

それって今まで無意識に相手に合わせてきた自分からするとかなり大きな変化だ
そうやって少しずつ私を取り戻していこうと思う
何も焦る必要はない
私の人生はいつだって始まったばかりだ

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