私の11%
私は母と深い話をする事を避け
家ではあまり話さなくなった。
反抗期という言葉で片付ける方が自然かもしれないが、それはあまりにもざっくりとし過ぎていて好きではない。
その言葉は後付けぐらいが丁度良いのではないか。
私は中学3年生になった。
中学2年生の頃仲良かった子と同じクラスだった。
だけどその子には1年生の時に仲が良かった子がいて
その子も同じクラスだった為
私はその輪には入らず自ら1人になった。
なぜそうしたのか、
確か何か決定的出来事があったはずなのだが思い出せず正確な事が書けないため割愛する。
1人は慣れていたが問題が発生する。
それは修学旅行だ。
その頃、友達がいないから休み時間になると
とりあえずお手洗いに行き少し時間を潰す。
戻ってくると教室の後ろにある自分のロッカーを片付けた。
使ってもないのに1時間に1回片付けるんだ。
散らかるはずもなく
教科書を縦に並べたり横に重ねたりを繰り返し
これ程無駄な時間はあるのだろうかと考える。
刻々と迫る修学旅行。
班決め。
地獄だった。
そして私は修学旅行に行きたくないと両親に伝えた。
母も父も、なら行かなければいい。となんの迷いもなく私に言う。
だけど私が泣きながら言うものだから
母は付け加えた。
「だけどもう少し頑張ってみなさい、それでも行きたくなければ行かなくていい」
後日、もし行かないんだったら私と遊びに行こう!とも言ってくれた気がするな。
結論から言うと私は修学旅行に行く。
ただ、楽しかったのは覚えているが何が楽しかったのか
誰と過ごしたのか、
修学旅行は東京で、ディズニーランドを行動した人は覚えているが
それ以外が思い出せず
これも割愛する。
どうしてこんなに覚えていないのか
記憶力を疑うが覚えていないものは書けない。
「無機質」
男はカッターをカチカチと音を鳴らせながら言う。
「紙で切ったって言えば誰も信じて疑いはしない」
女は男から流れる液体を眺めながら
男は生きているのだと確信する。
親指にできた小さく薄い傷を
女は腕に作り、何十本もの線とし男に見せた。
休みを一緒に過ごす事は多かったが
女と男は付き合っているわけでもなく
特に何時何分どこに待ち合わせというような事をするわけでもなかった。
もしかしたら次の休みにブックオフに行くかもしれない。
そんな事を女が言うと
男も、もしかしたら自分も行くかもしれないと言う。
予防線を張ってはいたが
高確率で女はそこに向かい
男も来た。
公園の中で1番高い所に登り
歩く人を数時間、ただ観察をして過ぎていく。
太陽が傾き影が伸びた頃
女はこの時間が一生続けばどんなに幸せかという考えを胸にしまい
男の背中から伝わってくる心臓の音をきく。
女の腕は酷く汚いものになってはいたが
それは2人の秘密のようなもので、薄く消える頃また付け足す。
綺麗な手が台無しだと男は言ったが
女は綺麗な手だと言われた方が嬉しく
自分の手を愛でていた。
重い身体は軽くなり、男の心理を女は身を持ち感じたいと思っていた。
そしてその為のただの手段であり、酷く歪んだものでもあった。
男は女を無条件で包み込む。
物理的にではない。
女はこの男に恋心を抱いている事は確信に近かったが男は何を考えているのか分からず
女は人間らしさしかしかなかったが
雑踏の中にいる男は人間らしさというものはあまりなかった。
それでも女といる時の男は、饒舌なものだった。
男といくつもの世界で繋がっていたが
1つ消えると2つ、3つと消えてゆき
女の中にいた男の割合だけが増え、男の中の女の割合は減っていく。
男が女の割合を取り戻す頃、
女の男への割合は減っており
ずっと待っているという言葉だけが宙に浮き
やがて、弾けるよう消えていった。
それでも男と女は12という数字で繋がっており
1年に二度、それを感じ続けた。
そしていつかの男は消え、女も消えた
(終)
私は確か、母にではなく父に修学旅行に行きたくないと先に言った記憶がある。
母が怒る時、父は優しく
父が怒る時、母は優しい。
家の中の逃げ場を確立してくれているような家庭だった。
だが父が怒る理由は決まって母が悲しむ事をした時だ。
母が怒るとその暗黙のルール的なものはすぐに破られ
父が怒るものだから母が切り替え冷静になったりする。
父は一生懸命何かを伝えようと話してくれるのだが
たまに何を伝えたいのか分からない時があり
母が理解できるよう補足したりする。
母の家庭環境は悪かったし、父もそうだった。
だからこそ、私や姉にありったけの愛を与え育ててくれた。
愛とはなんなのか。
どうすれば良いのか分からず手探り状態だっただろうと
今なら理解できる。
母は小さかった私の事も子供としてではなく
人として接し、愛した。
子供として、母として、というものに違和感があったのかもしれない。
分からなかったのかもしれない。
そして、私の家であまり話さない、いわゆる反抗期というものは
母の「もしかして反抗期なの?」という言葉と
「えっ、成長したね〜!!!」と手をパチパチさせながら目を輝かせらる事により
馬鹿馬鹿しくなり数ヶ月であっさりと終わった。
「私の11%」残る記憶
「私の12%」私の10%からの変化
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