100日後に30歳になる日記(8)
◆4月3日
ユニクロに行った。服屋では基本、「お手頃価格になりました」コーナーしか見ない。990円で白いストレートパンツを買った。セカストに行った。セカストにはこの時期、服屋から買い下げられた季節外れの新古品がある。たいていはオーバーサイズかssサイズなのだけど、今日に限ってはMサイズの、ダメージ加工デニムジャケットがあった。背中のところにへんな絵が書いてある。なるほどこれがダサいから誰も買わなかったのか。愛おしむように手に取って買った。これからはウチの子だよ。帰って、ユニクロの白いズボン、それからテキトーなパーカーを着て、セカストジャケットを羽織る。洗面所の鏡で具合を見てみる。ダ、ダセえ〜〜〜〜w。でも、この誰にも買われずに売り飛ばされた彼らがかわいそうで、せめて俺の顔が横浜流星だったら何を着ていてもサマになっていたところ、あいにくチー牛なのでどうしようもなかった。けれどもまぁ、これからは一心同体だ。売れ残り同士、仲良くしようじゃないか。そのままの格好で外に出た。裸のほうが恥ずかしくなかった。コンビニでタバコを買った。帰宅して着替えて、そっと行李にしまった。
◆4月4日
むかしよく見てたyoutuber、懐かしい〜ってなって調べてみたらカップルチャンネルみたいのを作って妊娠もしていた。あの、やめてください。はやくBANしてください。私の貴重な時間に広告を見せたことで得た金でまともな人生を歩まないでください。毎日額に汗して生きている人間の価値を損なわせないでください。禍福は糾える縄の如しという諺を信じさせてください。
萩原慎一郎の辞世の句が、――不適切な言葉遣いだが、私は好きだ。ねぇ、まともに生きようとしている人がハズレくじを引かされてばかりなのは、おかしいだろう。おかしいよな? おかしいよ。
返歌。
◆4月5日
「あたしンち」の映画が一週間無料公開されていたので観る。みかんとお母さんが入れ替わるやつ。子供の頃の記憶通りに面白かったし懐かしかった。エンディングの歌詞がまたいいんだ。「お母さんの料理が世界一って言えたらいいのに/お父さんが理想の恋人って言えたらいいのに」好き。
入れ替わっているお母さん(中身みかん)がタイム・カプセルの中の手紙を読み上げる場面から始まるくだり、全く覚えていなかった。子供の頃には確かに印象に残らないかもしれない。「娘さんのみかんちゃんはいい子かい?」とみかん自身が尋ねられ、お母さんの口を借りてためらいがちに、
「……そんなにいい子じゃないんじゃないかな。ほんともう、親の言うことなんかロクに聞かなくて、自分のことばーっかり考えて、やれあの服がほしい、この靴がほしいって、家の経済事情も知らずに、お母さん、ピアス開けていいでしょとか言い出すし、親の気持ちなんかなーんにも考えてないのよね」
この長尺のセリフがもう、胸に来て、その後のやり取りも好き。親孝行したいと思った。孝行心は捨てたろ。捨てた人間があたしンちなんか観るんじゃない。はい。
◆4月6日
卵とすり身を混ぜて両面焼いたやつ。最近の主食。
加藤幸子という小説家の訃報に出くわす。先月の30日に亡くなったらしい。
私たち世代は、センター試験の国語の過去問で彼女の小説を目にしている。「自然連禱」という短篇集の作品の一つで、タイトルは失念した。「ゴ・メ・ン・ナ・サ・イ・ネ」と、呆けたふりをする婆さんが口走る小説。水銀の影響で飼い猫がもんどり打ったりしていた。センター試験の小説は良作揃いで、試験で出た部分以外も読みたくてその短篇集を買ったおぼえがある。
彼女の死を報じる新聞のコラム欄で、加藤幸子「苺畑よ永遠に」という作者の私小説じみた学生群像小説が紹介されていて、じつに面白そうだった。ちょうどいい機会、というのは語弊があるけれど、彼女の小説の一冊二冊くらいが復刊されてくれればなぁ、と思う。
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