妻が第一子を授かりました!

 大谷翔平の。家族が増える。息が詰まった。

 俺と大谷翔平は、同じ1994年生まれである。誕生月は俺が六月向こうは七月、こっちのほうが先輩だ。年功序列には厳しくいくよ。これからは大谷、と呼び捨てにさせてもらう。生まれの後先だけは覆らない。

 そんな後輩の大谷に、俺は勝てるものが一つもなかった。なかった、という過去形を使うと、まるでこれから勝ち目が出てくるような言い分になる。厳密にいえば、勝てるものが一つもなかったし、一つもないし、これからもないだろう。けれどまあ俺は別にメジャーリーガーではないから、大谷と俺の幸せのベクトルは違って、俺はアメリカの大地でホームランを打つために生きてきたわけじゃない。じゃあ何のために生きているのか。決まっている。家庭。俺はそれが欲しかった。妻とペットと、少しして一姫二太郎。そんな幸せな家族の生活を夢描いていた。

 ここで現実を見てみましょう。安月給で年がら年中こき使われて子どもはおろか彼女さえもいないペットも飼えない地方住みの年末年始に用事もない一人さみしくボロアパートで身と心の寒さに震える指でソシャゲ(学園アイドルマスター)をポチポチしている俺と、仕事は順調メジャーリーグでの活躍が流行語にまでなり2月には結婚して自宅のほかに別荘まで所有しアメリカを我が物顔で闊歩しこの年の瀬めでたく第一子を授かったことをインスタで報告して世界中の人から祝福されている大谷と。

 俺が喉から手が出るくらい欲したものを、大谷はたやすく獲得していく。妻! 子ども! ペット! 家庭の団欒! そのうえ富と名声のおまけつきときた!! あーあ自尊心をこれ以上保てそうにない。狂う! 狂う! 狂う! いや、もう狂っているのかもしれないね。俺にはもう何もわからないよ。涙だけが確かに流れた。

 俺も野球部に入っていたら大谷翔平みたいになれたかな。俺は高校時代は図書局という、野球部とは正反対の部活をしていた。同期と喧嘩して一年ちょっとで辞めた。文科系の部活を全うできないやつが野球部なんか務まるわけがないだろ! はい。でも成長した今なら、同期とも仲良くやっていける。一年ちょっとで音を上げたりなんかしない。もしかしたら今からでも遅くないかもしれない。願書を請求して高校受験をして高校に入り直して野球部に入って甲子園に行く。スカウトされる。俺は道民だから日ハムに指名を受けたい。6位指名でいい。やるなら投手がいい。目指せ大谷越え! お前が二刀流なら俺は三刀流だ。試行錯誤を経て自分なりの投球フォームをものにしていく。やがてポスティングシステムでMLB挑戦をするのだ。いざアメリカへ。しかし思うように結果は出ない。夏ごろにはメジャーリーグで登板の機会さえない。やむなくのこのこ日本に戻って今度は福岡ソフトバンクホークスと契約。背番号は10。心機一転ここから活躍してこの番号を永久欠番にする心づもりなのだ。頑張れよ上沢。お前は生まれこそ先輩だけど呼び捨てにする。来年の日ハムとの開幕戦を首を洗って待っていやがれ。

 何の話?

 同じおよそ三十年という時間、大谷と俺とのあいだで唯一等しい時間の流れ、この間で、こうも天と地ほどの差が開くとは思わなかった。俺がたとえ大器晩成型の人間であったとしても、もう序盤の大谷のダッシュが凄すぎて追いつけやしない。さすがは攻防走そのどれもに抜きん出た選手だ。これからは大谷様と呼ばせていただきたます。呼び捨てなんてあたしにゃ恐れ多いですよ。いやいや尊敬してます。本当です。頭が上がりません。産まれた時から負けてました。あたしが産まれて初めてしゃべった言葉は大谷です。本当ですよ。へへ。あたしにもせめてその幸せのひとかけらをお恵み下さらないですかね…………。ほんとにひとかけらでもよござんすので……あわれなコジキ男を救うと思って……。にっくき水原一平の盗り分の1%で構いませんですぜ……。2640万くらいです……。下さい。いや、冗談とかではなくて。同級生のよしみでそれくらいくれよ。頼むよ。大谷様。あなたは日本の誇り。

 日記。ストーブの近くで寝る用に、寝室にあるのとは別の寝具一式を購入しようと思った。年の瀬のイオンに向かう。うじゃうじゃと人がいる。だから嫌いだよ。こんな日に出かけるの。人がやたら歩いてて用もないのに。布団とか売っているコーナーに行って、値引き品ばかり選んだ。レジもまあ人が並んでいる。数分待って自分の番だ。店員が商品のバーコードを読む。確認するように商品の内容を言った。こちらシングルサイズですね、いちど封を開けたら返品などはできませんが……。やめてほしいと思った。シングルサイズであることを赤裸々にしないでくれ。独身であることを白日の下にさらさないでくれ。ダブルサイズを買えばよかったと思った。そうしたら俺が既婚者のようにレジ待ちの人に思われただろうか。けれども俺は大谷翔平じゃなかった。大丈夫です。俺は答えた。清算を済ませて店までの出口を早足に歩く。シング●●●ルサイズの寝具●●を抱えながら(笑)。

 誰が悪い?

 家に帰った。おかえりなさいと言ってくれる真美子夫人はいなかった。愛犬のデコピンも迎えに来ない。俺は大谷翔平じゃなかった。夫人がいないのでひとりで布団にカバーを付けた。悪戦苦闘した。ストーブ近くに枕を置いて寝ころび、布団をかけて寝心地を確かめる。ケチらずに敷布団も買えばよかったな。床が冷たく痛い。ストーブの火がちりちりと頭が熱い。もうなんもかんもうまくいかん! このまま何もかもが燃えればいいと思った。窓の外にはしんしんと静かな雪が降っている。


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