芥川賞の話

 7月17日、第171回芥川賞の受賞者が、決まった。朝比奈秋、松永K三蔵の両者だ。また、二作受賞かと思った。あげればいいってもんじゃあないだろ。私の中の石原慎太郎が物申した。私は私の慎太郎に訊いた。お前は二人の小説を読んだの? 私の中の慎太郎が答える。……読んでないです。私は慎太郎の横っ面を張り倒した。馬鹿野郎! 読んでもない本の良しあしを得手勝手に決めるんじゃねえ! 慎太郎はぐうの音も出せずに黙った。

 こんどの候補作のうち、私が読んだのは坂崎かおる「海岸通り」一作のみだった。読んで、まあまあ良かったので、これが芥川賞獲ったら古参面できるなとほくそ笑んだ。結果は、どうだ。坂崎かおるは箸にも棒にも掛からなかった。悪くはなかったのにね。

 今回の芥川賞で注目すべきは、二作受賞の中に久しぶりに女性がいないということである。思い返せば、昨今の芥川賞受賞率は、女性が多い。それが実力に伴っているような肝の飛び出る小説なら受賞も肯ける(ex.川上未映子、今村夏子)ものの、最近では出来はさほど……という小説の多さに辟易してしまっている。大学だけじゃなく文学にまで女子枠を作らないでくれませんか? 例を挙げれば、朝吹真理子。西村賢太との同時受賞だった。当時の私は文学青年の端くれ、芥川賞が決まったと知っていそいそ本屋に向かって賢太と真理子の単行本を買った。「苦役列車」は、受賞もむべなるかなとひざを打った。続いて真理子「きことわ」。あらすじは少女小説風味だ。なるほどこれは期待が高まる。読んだ。つまらなかった。びっくりした。もう一回読んだ。嘘だろと思った。朝吹真理子をネットで調べる。家系的に文学者の系譜であるらしい。堀江敏幸がいやに推している。はいはい、そのタイプねと思った。そのころの私は西村と朝吹の受賞した回の、その前の回、第143回芥川賞受賞者に、すっかり惚れてしまっていた。赤染晶子という小説家の手になる文章に魅せられていたから、なるほど芥川賞は大したものなのだろうと思っていたところに、朝吹真理子「きことわ」だった。ふざけるな、ふざけるなよ。いったいどの選考委員が推してやがるんだ。講評を見てみた。なに? 宮本輝と高樹のぶ子……。あ、じゃあ、私めのほうが間違っておりました。いえいえそんな、とんでもございません朝吹真理子は世界最高峰の文豪でございます。ノーベル文学賞も夢じゃございやせんですぜ、へへ。へぇ、私ですか? 私は宮本輝の「蛍川」も高樹のぶ子の「光抱く友よ」も大好物でございますから、おふたりの慧眼にひれ伏すばかりであります。へへーっ。

 本の話となると人の悪口を言うのは止したほうがいい。はい。好きなものの話をするべきだ。はい。

 § § §

 私は芥川賞が好きだ。その受賞した時代を何より雄弁に語ってくれる。一番いい例は、清水基吉「雁立」、本作は第二次世界大戦下における、最後の芥川賞受賞作だ。ページ数ではすごく短いのだけれども、恋物語の神髄が全体に張り巡らされていた。戦時下の文学青年の悲恋を、よくもこんな言葉少なに物語って見せたものだと思う。私は昔、芥川賞全集みたいな本で、それを読んだ。清水基吉のほかの著作をそれから探そうとしたけれど、どれも稀覯本になっていて、私は諦めてしまった。

 芥川賞なんて今も昔も新人純文学作家の登竜門、これを手にしてから如何が本題なのだ。清水基吉は、移ろう世相にうまく順応できなかったのだろう。彼の少し前に芥川賞を獲った芝木好子みたいに貪欲であれたら、今の世でも清水元吉の著作を手に入れられたかもしれない。惜しまれる。

 芥川賞で随一の小説は何かという問いがある。丸山健二「夏の流れ」? 綿谷りさ「蹴りたい背中」? ふたりとも若くして芥川賞を獲ったからもてはやされたりしたけれど、今の丸山健二の老醜を見れば、いの一番に芥川賞を獲ったからといって迷走しないとは限らないみたいだ。といって、年を取っていればいいわけではない。黒田夏子「abさんご」がいい例だろう。新奇なもの、珍妙なもの、そういうキャッチ―さに頼らない小説が、私は好きだ。芥川賞で随一の小説は何か。決まっている。

 郷静子「れくいえむ」である。

 私の中の石原慎太郎が訊いてきた。芥川賞ぜんぶ読んだの? 私は不承不承答えた。ぜんぶは読んでないです。読んでないのになんで随一だってわかるん? 慎太郎がいやらしく問うてきた。私は私の中の慎太郎を蹴り飛ばした。うるせぇ! 「太陽の季節」よりマシだ!

 郷静子「れくいえむ」で、私の一番好きな場面は、主人公たる軍国少女の節子が、ナンパされるところだ。

 よく、本を読んでいますね。通り過ぎると思っていた足が、節子の作業台の脇で立ち止った。本がお好きなのですね。豚皮だがまだ真新しい黒い短靴のゲートルは、見事なほどきちんと黒い学生服の膝下まで巻き上げられている。節子は、恥かしさのためにみるみる頬から耳まで、充血するのを感じた。男子学生と親しくしている女学生が、他にもいないことはなかった。しかし、節子はおよそそういうこととは無縁だったのである。何を読んでいるのですか。学生の名は原田潔といった。……(後略)

郷静子「れくいえむ」(文春文庫)P.66

  私は私がぞっこんになった赤染晶子という芥川賞受賞者の影を追い求めるように、芥川賞をさかのぼった。そこで、郷静子「れくいえむ」に出会った。時代的には赤染晶子のほうが後だけれども、文才に前も後ろもない。赤染晶子が書いたのかと思う文体に惚れて、赤染のフィルター越しに何度か読んでいるうちに、私はいつしか郷静子に軍配を挙げていた。郷静子の文章の情熱と静けさに、魅せられていた。ああ、そうだ、私が芥川賞に求めていたものは、奇抜なシナリオだとか私小説じみた実感の確かさだとか生まれだとかタレント性だとか、そういうものではない。ひたすらに文章で読者を魅せる、一筋の力強さ。それさえあれば、だれが芥川賞を獲ったってかまわない。あいにく、赤染晶子以降の受賞者で、見当たらないのが残念だ(藤野可織「爪と目」はちょっと好き)。
 それでも、と私は期待している。今回受賞した朝比奈秋と松永K三蔵が私の蒙を啓いてくれるかもしれない。底なき純文学の引力のままに私をどこかに引っ張ってくれるかもしれない。両者の単行本はもう発刊されているらしい。凋落のはなはだしい文学分野においても、まだ、芥川賞受賞作を出版する力はあるのだな。加藤シゲアキにでも芥川賞を渡したら今より少しは注目されるだろうに、まだまだなんのこれしきと足掻いている芥川賞がいとおしい。早く私に魅せてほしい。文章の妙を。読書に終わりはない。

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