日記(気が狂いそうになるのも分かるよ)

 文章を書くことは嫌いだった。たとえば読書感想文。夏休みの宿題とかで。何か一冊本を読んで書きましょう。原稿用紙を手渡される。「〇〇〇」を読んで 名前。そんな風に書いて二行で行き詰まる。親に何かいい本はないかと訊く。親は自分が読んだこともないだろう夏目漱石を勧める。「坊ちゃん」読む。読めない。つまんねえ。金色のガッシュベルのほうがよっぽど面白い。見兼ねて親がさらに勧めてくる。カフカ「変身」。読む。読めない。銀魂のほうがよっぽど面白い。そういうわけで読書感想文を後回しにして、いよいよどうにもならなくなって、とりあえず感想文をでっちあげる次第である。……ぼくはこのなつやすみに夏目そうせきの「ぼっちゃん」を読みました……。できるだけ平仮名を多くするのが読書感想文のコツである。漱石と書けば二文字だがそうせきだと四文字なのだ。序盤しか読んでいない。それでも書く。……主人公が学校から飛びおりるところはカッコいいなとおもいました……。思うもおもうと書いたほうが文字数が増えてお得だ。読んでいない本をとりあえずごまかしごまかし感想を語る。原稿用紙を二枚埋めれば宿題はクリアだ。もうがんがん改行する。夏目そうせきという小説家の文章を読むのははじめてでしたけれども、とても読みやすい文章だなあと思いました。(改行)ぼくもいつか夏目そうせきみたいな文章を書きたいなあと思いました。(改行)本の手ざわりも良かったです。(改行)値段もブック・オフで買ったので安かったです。そうして、国語の通知表には、5段階評価で2がつくわけである。

 今、もしタイムスリップできて子どものころに戻れるなら、小学生のころに戻って、そうしたら読書感想文のコンクールに入賞できる気がする。市内の賞で努力賞くらいは獲れると思う。図書券500円分くらいはもらえるだろう。でも今は500円分の図書券で変える本はとんとない。このまえ、本屋に行ってたまげた。どの文庫本も高い。平気で野口英世が消える。今は野口英世じゃないらしい。北里柴三郎? なにをしたのかよくわからないおじさん。近所の自販機はまだ新札対応していないのでやっかいなおじさんだ。最近、朝とか、冷える。寒いから自販機であったか~いの缶コーヒーを探す。1000円札を入れる。自販機は返してくる。二度三度繰り返して、ふと注意書きを読む。新札は取り扱えませんという文言。ふざけるな。やむなく小銭を探す。500円玉。入れる。吐き出される。入れる。吐き出される。さてはこいつも新500円玉か。舌打ちをする。缶コーヒーはやめだ。やめやめ。どいつもこいつも俺の許可なく変わりやがって。昔のままでいいんだよ、何もかも。俺を置いて進むな時代。ずっと昔のままでいてくれ。俺はもうここからどこにも行けないんだ。

 気づけば、秋だ。びっくりした。私はまだつい最近2024年を迎えたばかりの気がしている。あけましておめでとうございます。何なら我が家には去年買った新米がまだ半分ほど残っている。あまりに自炊をしないせいだ。まあ米は精米しない限り腐らないので。このまえスーパーに行ったら新米が出回っていた。5kgで3500円。我が家の新米も転売しようかなと思った。ともあれ、なんだか朝夕肌寒い。もう半袖では生きていけない。衣装棚の奥深くに夏物を埋ずめて、冬物を引っ張り出してきた。半年ぶりの長袖はなんだか臭う。男の一人所帯の臭いだった。洗濯機にぶち込んで、部屋干しすることにした。だけどなんだか、生乾きの臭いがしている。あと幾たび洗濯すれば買ったばかりのときのようなにおいが戻るだろう。もしかしたらもう戻ってこないのだろうか。また新たに冬服を買って、当座の冬を堪えしのぎ、また次の冬には臭くなっていて、ああ、あとなんどこんな臭い服を洗濯しなきゃあいけない? 終わりのないゼロサムゲーム、資本主義の闇。今年の冬は、生きてゆかれるであろうか。年ごとに老いてゆく我が身を憂えると、私はどうしようもない恐怖に脅かされる。全く躰が言う事を聞かなくなる時分を想像すると、身の毛もよだつ思いになる。私は、ひもじさに喘ぎつつ生きている我が身を、否でも応でも、同級生の大谷翔平と引き比べずにはいられなかった。なにが50-50だおめでてぇな。私だって今年は映画を映画館で30くらい観たし、本だって70冊くらいは読んだ。足したら同じ100だ。大谷翔平、俺は今度また映画を観に行くぞ。そうしたら俺が101だ。舐めるな。本だって読む。そうしたらもっと増える。お前が盗塁と本塁打を打っている間に俺だって人生の駒を進めているんだ。あまり見くびってもらっちゃ困るぜ。

 日記。最近は女性声優のラジオばかり聴いている。学生時代は女性声優とかに熱中する輩を白眼視していたのだけど、今さらに彼らの孤独に追いついた。そうか、女性声優は、このどうしようもない毎日、明日は明後日でもい明後日は昨日でもいい取り換え可能な日常に楔を打ってくれる。定期的な彼女らのラジオは、時の移ろいを知らせてくれる。女性声優の喋りにスキルアップを感じることが、我がことのように嬉しい。私まで一緒に成長しているみたいで……自分が何かたいせつな努力をしたように信じさせてくれる。そうか、そうだったんだな。現実との最後の窓が、私には女性声優しか残されていなかった。もういい。もういいんだ。せめて私のこの小さな窓を誰も割らないでくれないか。

 今週末には「BanG Dream! It’s MyGO!!!!!」というアニメの劇場版総集編が公開される。私はストレッチとして声優役の彼女らのyoutubeでupされているラジオを聴きながら間がな隙がな暮らしている。聴いているとキャラクタの深みが出てくる。えへ。楽しいね。楽しい。楽しいよ。

 noteの末尾に自分の好きな音楽を転載して終わる思わせぶりな記事を一度は書いてみたかったので、そうする。

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