抱負/トックリバチの巣/生活

 とりあえずは、書くことだ。それしかなかった。

 何でも書ける気がしたし何も書けない気がしたなんて相対する文句を連ねてきざたらしく飾るのは、私の書きたいことばではなかった。何を書くのか。もうすこし素直にことばを書きたい。しかしひねくれ曲がった性格と生活を重ねて、そんなものは今すぐに叶うべくもなかった。新たにそして新たに続けていくしかなさそうだ。何を続けるのか。ていねいな生活。うろんな生活からはうろんなことばしか出てこない。そんな信条というか偏見というか、取るに足らない標語を掲げて、遅ればせながら私にもようやく新年を迎えたという感があった。あけましておめでとうございました。

 年が改まったのでtwitterを再開した。私はひとつのアカウントで読書も出会いも思想も趣味も職種もごっちゃまぜにしてしまうからよくない。タイムラインにはいつもちぐはぐなことばが乱れ、いやになってログアウトすると、パスワードを忘れた。どうでもよかった。

 改めて恋人ができて、私は浮かれていた。浮かれている。煩悩まみれの人間なので、それはもうどうしようもない。また一からはじめましてこんにちはと続けて、これからもよろしくお願いしますにまとまった。趣味や特技をひとしきり話して、こうしてまた誰かと睦まじくなるその応答、いったい何度目だろう。数えきれない。嘘だ。数えきれる。両手で事足りた。それも嘘だ。片手。いらない見栄を張る癖がある。

 そうして浮かれたついでにSNSを始めたのだ。好んで惚気垢を見ていた。彼氏側であれ彼女側であれ、めいめいの惚気は私を幸せにした。各人だれもがこういうことばかり思っていればいい。つぶやいていればいい。夫婦の惚気垢もあった。うっひょお! おっとなー! なんて柄にもなく舞い上がって嬉々として読んだ。私は今年、ニ十八になる。なにがうっひょおだ。お前もいい大人だろう。

 検索欄に彼氏と打った。空白を置いて金玉と調べた。他意はない。あった。このサジェストは思ったよりも多く惚気垢を見られた。ほっこりした。さらに探っていくとトックリバチの巣の画像が出てきた。そっくりだった。笑った。twitterはこういう風に使いたい。

 私は朝な夕な好き好きとばかり言っている。ほんとうはもっと硬派に、ハードボイルドな小説の主人公よろしくクールでニヒルを気取りたいのだけれども、いざ相手が見つかれば、そんな気分はうっちゃってしまう。手を変え品を変え愛を伝える。月がきれいですね。君のためなら死ねる。そして雅な和歌を贈ったり。嘘だ。私は人に愛情を伝えることばを、好きの一語よりほかに知らない。好きのあとに……をつけたり!!!!!!!と強調したり、対面ならば耳元であるいは目を合わせてさもなくばあいさつ代わりに。いままで文学の海を泳ぎ渡って、その果てに私は、好きという一語しか憶えてはいなかった。ふりかざすことばはこれだけ。十分だった。好きだよ。好きだ。大好きだ。好き……。好き!!!!!!! すき、しゅき、ちゅきぃ……。恋人どうしのやりとりはあまり人に読ませるべきものではない。それでも人様のそういうやり取りを見るのは心がすく。わかる! 見せびらかしたいよなぁ! けれど秘密にもしたいよなぁ! そういうどっちつかずの思いが人に惚気話をさせるのだ。ながらへて憂しと見る世にふる雪に恋に沈まぬ手童のごと。

 そうしてまた性懲りもなく始めたtwitterは、しかし望まぬ情報やら何やらもきちんと定期的にtopicだとかなにかで伝えてくるので、どうも勝手が悪い。好きな小説家が炎上していたり、人文学は相変わらず落ち目だったり、ことばへの信頼がとうに失われていたりした。ただそんなものもコップの中の嵐、世間を生きているたいていの人の関わり合いになることではなくて、私だってどうでもよかった。みんながみんな、彼氏の金玉や彼女の腹肉の柔らかさについて語っていてくれれば、それでよかった。やっぱり肉感はあったほうがいい。痩せている者どうしだと骨と骨がぶつかってちょっとなじまない。嘘だ。この期に及んでまた嘘か。痩せてる人を抱いたことがないので知らない。相手に肉付きがあればぎゅっと抱きしめてもぶつからない。そのままどこまでも沈んでいける気がする。一体感はもうことばにならない。これはほんとうだ。そういうことをひと皆が好き好きに語っていればよかった。誰も語ってはいなかった。得手勝手な経緯ばかりが氾濫して、私はシェイクスピアを読もうと思った。恋愛劇であればなおいい。私は今、色恋に飢えている。果たしてジュリエットはロミオの金玉を揉んだのだろうか?

 本を読む。積んであるその一冊一冊を、改めて自分なりに脈絡をつけながら繙いていく。今までそうしていたし、これからもそうしていたい。ていねいな生活はそしてことばは、その末に生るものだと思いたい。むやみやたらに手を広げないで、己の指先の届く範囲、わずかな圏内、そこで触れ合える何もかもを、迷わず好きと言えたらいい。

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