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紫雲清夏さんとの思い出

 ソシャゲ「学園アイドルマスター」には、紫雲清夏というヒロインが登場する。

 北海道出身のアイドルで、私と同郷だ。かつてはバレエダンサーのホープとして、スウェーデンに留学した経験も持つ。中学までは北海道で過ごし、この春から、初星学園というアイドル養成学校の高校一年生として進学した。

 彼女のインスタグラムには、中学時代の思い出がアップされている。

 私はそこに公開されている写真を見ていると、なんだか、紫雲清夏と中学生時代に同じクラスだった気がしてくる。私は記憶をさかのぼる。自分が中学三年生のころ。そう、去年だ。わたしは親の転勤で東京から札幌に引っ越してきた。札幌にある中高一貫の女子校に転校することになったのだ。そうだ、そうだった。

 四月の札幌は、道端にまだ溶けかけの雪が残っていた。

 クラス替えの掲示の前にたむろする女生徒たちを尻目に、わたしは職員室に行った。「今日から転校してきました、昨夜と申します……」不安がちになっている私に、先生方はやさしく接した。担任の先生を紹介される。いい人そうだった。

 朝のホームルームを告げるチャイムが鳴った。わたしは担任の先生の後をについて、自分の教室の扉の前まで行った。ここで待っててね。先生が言う。

 扉越しに、朝のホームルームをはじめる先生の声が聞こえた。
「この学校に新しく来た転入生がいらっしゃいます」 
 先生が告げている。教室が少しざわめく。
「ほら、入っておいで」
 促される声のままにわたしは教室の扉を開けた。

 教室に入って、わたしの目はすぐその人に引き込まれた。オレンジ色の長い髪とエメラルドの輝きの双眸、気崩した制服はどこか垢ぬけていて、きれいだ、とわたしは思った。

 わたしは先生に言われるままに自己紹介をする。つい、伏し目がちになってしまう。中三で転校するなんて、もう仲いいグループとか完全にできてるだろうし、その輪の中に入れるかな……、と不安だった。

 あそこの席に座ってね、と先生が指差す。それは、さっき一目見ただけではっとさせられた、オレンジ色の髪の女子の後ろだった。

 わたしは周りの視線を感じながら、自分の席に座る。担任の先生は、それでは皆さん新しい仲間も加わり、クラスも変わったことですので、自己紹介をしましょう、と言った。

 オレンジ色の髪の人の番になった。わたしの目の前で、長いつややかな髪がさらりとなびいた。彼女が紫雲清夏という名前だと、そこで知った。名前もきれいだと思った。

 自己紹介を終えた紫雲清夏さんが着席する。ほかの女生徒たちがまた席を立って自己紹介をする。そのとき、紫雲清夏さんが、わたしのほうを振り向いてきた。一年間よろしくね、さくっち。さくっち……? 戸惑うわたしに、紫雲清夏さんはにこりと笑んだ。うん、昨夜だから、さくっち♪ 笑顔も素敵だった。うん、よろしく……。

 その日の放課後、紫雲清夏さんは、新しいクラスになって新しい仲間が増えたことだしと、懇親会を提案した。部活とかの用事のないクラスメイト全員が賛同した。さくっちも来るでしょ? わたしは別に用事もなかったし、知らない人ばかりの場所で、仲良くできる人を見つけられるのは嬉しい。すぐに肯った。
 中学校近くにあるゲームセンターで遊んで、そのあとカラオケに行った。紫雲清夏さんの歌声はのびやかに響いた。紫雲清夏さんと仲のいい女子とも知り合えた。そのうちの一人、湊みやさんというきれいなひとは、みやっちと呼ばれていた。紫雲清夏さんは誰にでもあだ名をつけるみたいだった。

 紫雲清夏さんのおかげで、私の転校は、失敗に終わらず済んだ。勝手のわからない北の大地・札幌のイベントを、紫雲清夏さんは手取り足取り教えてくれた。六月には北海道大学で催される大学祭に行った。悠々と延びるメインストリートに居並ぶ屋台とその活気に圧倒された。夏休みには、中島公園という場所で行われたお祭り、そして豊平川の花火大会。東京の花火よりずっと音が透って、きれいだった。

 夏季休暇中のあるとき、わたしはショッピングに札幌駅にまで出かけていた。欲しいものをひととおり買って、家に帰ろうと思ったときに、札幌駅の改札で、紫雲清夏さんを見かけた。その横に、キャリーケースを引いた外国人風の女の子がいる。わたしはふと足を止めて、ふたりの様子をうかがった。

「楽しかったよ、リーリヤ」
 紫雲清夏さんの声は、札幌駅のせわしない雑踏にあっても、ひときわきれいに届いた。
 リーリヤと呼ばれた銀髪の、彫りの深い美少女がなにか返事しているみたいだった。ふたりの会話はしばらく続いた。「じゃあ、また今度ね」やがて紫雲清夏さんが手を振って、銀髪の人が改札を通るのを見送った。銀髪の人もずっと手を振っていた。わたしはそのとき、直感的にわかった。リーリヤというのは、銀髪の人の本名なのだろうと。紫雲清夏さんがあだ名で呼ばないくらいの、大切な人なのだと。
 わたしは少し、妬いた。

 二学期になって、学校全体の体育祭があった。わたしは運動がてんで駄目だし興味がなかったので、自分の出番以外は自分の教室に戻って、やり残していた宿題をして過ごした。クラスメイトはみんな応援にグラウンドへ出ている。一人きりの教室は、なんだか特別な感じがした。

 そのとき廊下から足音が聞こえた。通り過ぎると思っていたその音は、私の教室の前で止まって、がらりと、扉を開けて紫雲清夏さんが入ってきた。

「あれ、さくっち、サボり~?」
 紫雲清夏さんがいたずらな目使いで問うてくる。
 わたしは宿題をやっていたのだと弁明した。はーっ、マジメだねえ、と紫雲清夏さんは返答する。「勉強とか、ご褒美ないとやってらんないよ」
 ……いい高校に入りたいから。
 わたしはそんなことを口走っていた。
 ……そしていい大学に行って、いいところに勤めて……
 はっとして、わたしは紫雲清夏さんのほうを見やる。彼女はきょとんとしていた。
 沈黙が流れた。
「紫雲さんは、どうするの?」わたしの口が勝手に動く。「紫雲さんはどこの高校行くの……?」
 間。
 紫雲さんは首を横に振って、わたしに言った。「まだ、決めてないや」いたずらな、きれいな笑顔で。

 十一月の末ごろに、こんどは文化祭があった。わたしのクラスではメイド喫茶をやることになった。当日には紫雲清夏さんがメイド服を着てお客さんを呼び込んで、それはそれはもう大盛況だった。


 文化祭の終わりに、校庭でキャンプファイアーを焚いて、女生徒たちが二重の輪になって、オクラホマだとか余興のダンスを踊る打ち上げになった。わたしは踊り疲れて、途中で輪を抜けた。すると校庭の暗がりのほう、そこにぽつんと、紫雲清夏さんがいた。わたしは駆け寄った。

 紫雲さんは踊らないの?
 わたしはそんな風に訊いた。
 まあ、別に。
 紫雲さんはわたしから目を逸らして、吐き捨てるみたいに言った、今日はメイド服で一日中働きまわったのだから、疲れているのかもしれない。わたしはそう解釈した。

 遠目に、焚火の陰影を受けて楽しそうに踊る女子たちの騒がしい一群があった。わたしと紫雲清夏さんはふたり、喧騒から離れて、黙りこくっているばかりだった。

 そんな時間がどれほど続いただろう。紫雲清夏さんが、ふいに口火を切った。このまえ、アイドルのステージ見てきてさ。子細を訊くと、初星学園のステージらしい。わたしもうわさに聞いたことがあった。初星学園はアイドルの養成学校として、その名を広く知られている。

 紫雲清夏さんはぽつりぽつりと言った。友人とそのステージを見て感動したこと。友人と一緒にアイドルになろうと約束したこと。わたしは聴きながら、いつか札幌駅で見た銀髪の美少女を思い出してた。きっと、彼女の友人と名指しているひとは、リーリヤという人なのだろう。

 紫雲清夏さんはそしてわたしに目を合わせた。
「あたしは初星学園に行こうと思ってるよ」
 わかりきっている答え合わせをするみたいに紫雲清夏さんの声は溌溂としていた。
 わたしはなんと返事したか、憶えていない。

 冬休みに入る前、いつものように紫雲清夏さんやそのお友だちといっしょに、札幌は大通で披露されているクリスマスイルミネーションを見に行った。きらびやかに飾られた街角がとても美しくて、いい街だ、とわたしは思った。

 三月。わたしは市内の進学校に合格した。紫雲清夏さんも、初星学園に受かったみたいだった。めいめいの門出を祝福する間もなく、あわただしく卒業式。わたしはクラス一同で校門前で記念写真を撮った。

 そして、現在。十月。

 進学校に行ったはいいものの、まわりはみんな頭のいい人ばかりで、なかなか思うように成績が振るわない。この連休明けには中間試験がある。がむしゃらに学習机にかじりついてばかりいて辟易する。ふと息抜きに、スマホでyoutubeを開いた。おすすめの動画に、それはあった。

 紫雲清夏さんの、オリジナル楽曲だった。初星学園で、彼女も彼女なりに頑張っているんだ。そう思った。関連動画から、紫雲清夏さんの歌っている曲を聴いた。最新曲であるらしい「仮想狂騒曲」、そのサビで声が裏返っていて、それはほかの初星学園の生徒達にはなかった持ち味で、何度も何度も聴いた。歌詞の「こうなればあとは思いのまま」と歌い終わった後の表情の挑発っぷりが輪をかけてよかった。紫雲清夏さんも、この空の続くどこか遠くで、アイドルになるため頑張っている。わたしだって、負けていられない。

 わたしは机に座り直した。

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