下書き供養(随時更新)
春から新社会人/ISTP-a/趣味や仕事のことを書いていきます❣️💜👘𝕟𝕒𝕟𝕒👘💜
こんな過去noteを読むもの好きはいないだろう。ここはくそったれな文章の場所。私は一気に文章を書く癖があって、失敗すると引き継ぐこともなしに全部消してしまう。それを繰り返しているうちに、もったいないなという念が起こった。最近はSDGsとかあるし、文章もエコでいこうよ。だからこれは、書いていて途中で飽きたり、つまらないなと思った文章群。人に読ませる文章になっていない。本来は、おしなべて文章というものは、読み手の気分を楽しくさせるものだと私は信じる。少なくとも私はそう思って書いている。書いていたい。
どうにもならない文章がある。noteをはじめて前のアカウント含めて5年経った。私はtwitterみたいな短文で過激なことを書いてばかりいるのは不得手で、といって継続的な売文は好みではない。気が向いたときに気が向くままに書き散らした、そういう散文が読むのも書くのも好きだ。今日も何か怨嗟を撒き散らそうと思った矢先、下書き保存の文章が目に付いて、それはそこからどう続けようとしたのか思い出せなかったけれども、いかにも酒を飲んでへべれけな自分が書いた文章群という感じがした。ことばはおりもの。紡ぎきれなかった文章が星の数ほどあり、私はタイピングしていた当時は考えていただろう結末をまったく思い出せない。せめてなにか星座のように名前がつけばいいと思う。
今期のプリキュアは、犬がプリキュアになることで有名だ。「わんだふるぷりきゅあ!」という。私はプリキュアについてあまり詳しくないけれど、それはそうと一話を観てみた。前情報通り、飼い犬がプリキュアに変身する。どういう必殺技で敵を倒すのかなと思っていると、敵を抱きしめることで浄化するタイプらしかった。度肝を抜かれた。戦闘ではなく和解、とでもいうのか、続けて二話も観てみたけれど、案の定、闘いに重点を置いていない。敵をやっつけるべき相手としてではなく、抱きしめる相手として描いている。これは名作だ。私はある程度話数がたまってから一気に見るタイプなので、三話以降は1クールぶんたまるまで我慢している。
私がいちばん好きなプリキュアシリーズは、「スイートプリキュア♪」である。もう十三年前の作品だ。ネタバレも何もないだろうから、私は語る。
スイートプリキュアのラスボスは、ノイズという。『私は悲しみそのもの』というノイズ自身の言葉通りに、彼は人間の〈悲しい〉という感情から生まれた。悲しみの権化である彼は、音も歌も何もない静かな理想の世界を作って、最後には己自身が消滅すること願う。どうして俺みたいな醜い化け物を生み出したのか、とノイズは問う。楽しみがあれば悲しみがある。禍福は糾える縄の如し。人間がいる限り、悲しみは生まれ続ける。ノイズは蘇りつづける。そんな存在を悪として討とうだなんて、『勝手だな、お前たちは』。そしてプリキュアたちに告ぐ。『さぁ、立て。立ち上がり変身して、全力でかかってこい! 私を倒して、消し去って見せろ!』
ほかの仲間が臨戦態勢に入る間際、キュアメロディは気づく。戦えないよ、とつぶやきながら。
――ノイズは、ほんとうは悲しいんだ。自分の声が醜いと思ってる。それが聴きたくないから、すべての音を、世界を消し去りたいんだ。
『悲しみは乗り越えればいい。だから私も戦うよ、もう一度』
『ノイズ、ごめんね、私たち、今まであなたを倒すことしか考えてなかった。でもそうじゃない』……戦わないんじゃなかったのか?……『ううん、戦うわ。戦って、こんどこそ、あなたを、助けてみせる』
ノイズは激昂した。
それから怒涛の戦闘シーンは圧巻、各プリキュアの過去回想とともに、悲しみを乗り越えたメッセージを、ノイズに何度も届ける。知ったような口をきくなと、思い上がるなと、ノイズは抗う。『ノイズ、聞いて! 悲しみは乗り越えられる!』いくら乗り越えようと悲しみは生まれ続ける! 『それなら、乗り越え続けるだけよ!』それに何の意味がある! 『そのぶんだけ人は前に進めるから!』
私はお前たちとは違う! お前たちなどと同じでたまるか! ノイズの反撃に、プリキュアは反駁する。ノイズも私たち人間の同じ仲間だと。喜んだり悲しんだり、そういう当たり前の世界の一部なのだと。『だからノイズ、あなたを消すことなんてできない』
悲しみは悲しみのままだ。ノイズは抗う。幸せなどありえない。絶叫する。『今はそうでもきっとわかるよ! あなたも笑顔になれば!』そんなときは来ない! 『たったひとりで決めつけないで!』黙れぇ! うるさい! どうしたら29歳の独身男性の俺が幸せになれる! もうすぐ30だぞ。小僧が調子に乗るな!!!! 『誰だって必ず、笑顔になれる!』こんなプリキュアの戦闘シーンを文字起こししている俺にも……? 嘘だね。何が笑顔だ……そんなもの、ほんのすこしの心次第で一瞬で悲しみに変わる! 『それならわたしたちがこの世界のすべてを――』プリキュアが眼前に迫る。ほら、結局は俺を倒すんじゃねえか。必殺技なんて放ちやがって『――笑顔に変えてみせる!』
ノイズ、たぶん、わたしたちは同じなんだよ。悲しみからあなたが生まれたように、喜びや笑顔からこの力は生まれた。それは……あなたといっしょに悲しみを乗り越えるため。そのためにプリキュアの力はある。だから、今こそあなたに届けましょう――
プリキュアたちの最終奥義の光線が襲い掛かる。煌めく光芒、ノイズの、俺の体が、ただただ浄化されてゆく。そうか、俺はここで絶えるのか。何もかも諦めたふうに投げ出した腕を、その手を、指先を、握る感触があった。
やっと、届いた……。
プリキュアたちは俺をいつくしむように立っていた。目を見開いた。
お前たちは、なぜ、ここまで……。
ノイズ、あなたの笑顔も守らなきゃ、プリキュアの名が廃る。
そう語るキュアメロディのまっすぐさに、俺は笑ってしまった。
「はは……まったく……」
これが「スイートプリキュア♪」47話である。
「スイートプリキュア♪」は東北の大震災の年のシリーズで、政治はもちろん普段の生活さえも明日はどうなることやらと、だれもが不安になっていた時期、そんななかで、ラスボスを受容するという結末は、あまりシリーズからしても異例だった。最終話にもノイズが登場し、彼とともに一緒に世界が進んでいくというエンドになる。悲しみは、消せない。がむしゃらに見て見ぬふりをしようとしたところで、所詮は徒労だろう。ならばせめてできることは、悲しみを抱えながら、それでも前を向いて生きていくことではなかったか。「スイートプリキュア♪」に通底しているそんな賛歌が私は好きだ。プリキュアは、というよりおしなべて物語は、そういうものであってほしいと私は願っている。最初から悪い人はいないはずだと、哀しみの物語も変えていけると。
もちろん、プリキュアシリーズは(人間がそうであるように)一枚岩ではないので、敵役を拒絶するパターンのシリーズもある。スイートプリキュア♪も劇場版では敵を消滅させる。きれいごとだけでは、物語は成り立たない。なりたたないけれども、それでも私は、だれにも希望を与えてくれる物語のほうが好きだ。
翻って「わんだふるぷりきゅあ!」には、まだ始まったばかりだけれども、「スイートプリキュア♪」と同じにおいを感じた。思い返せば能登の震災から始まり、国外の戦争は終わることを知らず、国内でも汚職や不正は数知れない今年。正義だとか悪だとか、そんなものさしがクソの役にも立たなくなって久しい。スイートプリキュア♪の時は失われた20年だったのが、今や失われた30年に延びた。失われた時代しか知らない私だ。停滞に次ぐ停滞、時代閉塞の現状、笑顔を忘れた私たちの世代に、「わんだふるぷりきゅあ!」は希望をもたらしてくれた。敵を抱擁し、受け止める彼女たちに、明日の必要を学んだ。大切なのは、そうだ、わかりあえない他人を、しかしそれでもと信じて受け入れる、そういう土壌ではなかったか。そうして誰もが笑顔になれたなら、なおいい。
◆4月1日
いつもより早く目が覚めた。妻は隣でまだ眠っている。私は起こさないようにそっと布団から抜けて、寝室を出た。隣間の子供部屋も静かで、娘の杏奈もまだ夢の中らしい。階下に降りて、リビングのカーテンを開けた。雲ひとつない朝空、今日もいい日になりそうだ。
朝食の準備にとりかかった。テレビをつけると朝の通販番組がうるさくて、少しボリュームを下げる。ふと、階段のほうからてとてとと小さな足音。リビングのほうに杏奈が顔をひょこりと出した。おはよう、パパ。おはよう、と私は返した。新年度、娘は今日から幼稚園の年長さんだ。ついこのあいだまで赤ちゃんだったような気がするので、時の流れというものを改めて実感した。来年は小学生か。私は自分の父母をふいに思い返した。彼らも私の成長をあっという間だと思っていたのだろう。我が子を持って、はじめて親の気持ちというものが、徐々に分かりはじめてきていた。
朝食ができたころには、妻も起きてきていた。家族三人で食卓に向かい、いただきます、と声が揃った。テレビはスポーツニュースを流していた。最近は連日、大谷翔平まわりの話題で持ちきりだ。殿上人のように見える彼にも彼なりの苦労があるのだろう。
「今日は在宅だっけ」
妻が訊く。私は肯った。
「年度初めでたいした仕事はないから、定時には終わるよ」
今日は結婚記念日だ。かねてよりフレンチのコース料理を予約していた。妻は先夜から、何を着ていくか杏奈に何を着せるか迷っていた。ドレスコードが多少あるとはいえ、そんなに気にしなくていいよというと、妻はだって大切な日じゃないと返した。何を着ててもきみはきれいさ。私は後ろから妻を搔き抱いた。見返りして上目遣いの妻と目が合う。ありがとう。そうして寄せられた唇を、私はそっと受け止める。昨夜はそんなふうに過ぎた。
仕事をこなして、口約束通りに夕方には終わった。ディナーの予約は夜の七時から、まだ少し間がある。私は自分の仕事部屋を出る。妻と娘はリビングでのんびりしていた。見ると、すっかり盛装している。
「おしごとおわったの?」
杏奈が言う。私は髪をなでながらうんと言った。
「もう着かえてるの? 早いね」
「待ちきれなくて」と妻。
「じゃあ俺も着かえるかな」
待っててねと杏奈に言って、自室に取って返し、正装に身を包む。リビングでまた三人、並んでソファに座って、テレビを見る。NHKの教育番組に、杏奈は夢中になっていた。ちらりと掛け時計を見ると、まだ十七時半。家を出るのは十八時からでじゅうぶんだ。私は杏奈と妻のおしゃべりを聞きながら、ふと、居眠りをしてしまった。
夢を見た。
◆4月1日
今日から大学生になったので、日記がわりにnoteをはじめることにした。
これまで大半の同級生と同じように実家暮らしだったけれど、これからはひとり暮らしが始まる。おとといに新居に落ち着いて、ライフラインをひととおり手続きして、きのうは家の周りや大学周辺をぶらぶらと散歩した。
実家は千葉で、東京までは電車一本で行ける。なんども友だちとかと行ったことがあったけれど、いざ住む場所として意識してみると、東京の人の多さに改めて驚かされた。なんというか、ひとりになれる場所がない感じ。それに、歩き疲れてふっと腰を下ろすベンチもまったくない。
さいわい近場に喫茶店があったので、足を休めがてらどんな雰囲気の店かなと入ってみた。もともとカフェめぐりが趣味で、地元にいたころもいろんなお店を巡っていたから、新規開拓するつもりで。
店内は純喫茶という感じの内装で、お客さんはソロの人が多かった。みんな学生に見える。たぶん大学の最寄りにあるから、学生向けのところなんだろう。メニューを見ると手ごろな値段で、私はレモンティーを頼んだ。ちょっと歩き疲れた体にほどよい甘みで、また来ようと思った。知らない街の知らない片隅に居心地のいい場所があるのは嬉しい。
私の性格タイプは巨匠 (ISTP-T)。あなたはどうですか? https://www.16personalities.com/ja/%E7%B5%90%E6%9E%9C/istp-t/f/gogsevkze
私の性格タイプは起業家 (ESTP-A)。あなたはどうですか? https://www.16personalities.com/ja/%E7%B5%90%E6%9E%9C/estp-a/f/8vemmbblp
札幌は昨日の早朝からちらほら雪が降り始めた。どうやら冬が来たらしかった。
そうでなくても最近は朝夕へんに寒くて、休みの日などは間がな隙がな寝床にこもって暖をとっていたわけである。それでしのげる寒さならよかった。雪が降り、日中でもちらほらと雪片が目に付く頃になると、もう氷点下がデフォルトになって、独り身の我が家は凍れる。こんなときに家族がいたら嫁がいたら、仕事終わりのくたびれた俺を玄関口で迎えてくれる女がいたらとさもしい妄想は尽きない。あいにく私を待っている人は世の中に誰もいないので、爪弾きされた末の1lkの我が家で、孤独をかこちながら寝床にうずくまるしかない。しかしそれでも寒くて、やむをえずストーブを付けた。
経費削減だかなんだか知らねえが私の勤めているクソ会社は昨年度から暖房費を支給しなくなった。社訓には地域のライフラインを目指すだとかなんだとか耳ざわりのいいゴタクを並べているが従業員の暖房費を払わないで何がライフラインだと思う。ライフラインが聞いてあきれる。死ねクソ。
そんな罵詈雑言が頭に渦巻きながら、昨今の石油高騰を思えばストーブのスイッチを入れるのさえためらわれて、けれどあまりに寒いからストーブを付ける。半年ぶりに稼働したから出は遅い。けれど青い炎がぼぼぼと点り、機器から熱気が放たれて、その熱を帯び私は泣きそうになった。俺が求めていたぬくもりはこんな近くにあったのかと。古株の道産子は、11月にストーブを付けるのを良しとしない。私もそうだった。子供は風の子、道民は寒さに強い。そんな旗印を掲げて12月までは堪えぬこうとしていたものだ。けれど私はゆとり世代なので余裕のない世の中はいけないと思います。ありがとう石油ストーブ。だいすき。愛してるよ。
「大室家」が来年、劇場版になるらしい。先日知った。「大室家」とは漫画「ゆるゆり」の外伝にあたる作品だ。その当の「ゆるゆり」というのは文字通りゆるい百合、いわゆる女の子同士の性行為まで行かない慕情を描いた漫画で、私は高校生のころ、百合にハマっていた。
東急ハンズで「ゆるゆり」とのコラボ商品が販売されていると知って、さっそく出向いた。エスカレーターをあがってすぐの場所の区画に、当該コラボ商品が並べられている。私は「ゆるゆり」ではさくひまのカップリングが好きでやっぱ幼馴染のお互いを思いあう気持ちみたいなのは癖に刺さる。私は劇場版への期待を込めて大室櫻子の人形を購った。ほかの女性客が赤ちゃんを抱えながらレジの列にならんでいるところに、櫻子の人形を抱えて並ぶのは勇気がいった。はた目からは子供を抱えているように見えるよう、私は片腕で人形を抱いた。こんな大人になるはずじゃなかったんだけどね。
高校生のころ、百合にハマっていた。当時と言えば2010年、けいおんというガールズバンドをモチーフにしたアニメが一世を風靡していた。私は例にもれず夢中になって、あろうことか2chという掲示板で、妄想の二次創作小説を書くようになった。ネットリテラシーなんてものはお構いなしの往時、私はけいおんの二次創作(SS)を書く掲示板を荒らしたりして悪名が付いた。
これはそんなデジタルタトゥーのひとつであり、私はこれでネット上の生き方を学んだ。何かを間違えれば私もハセカラ的な何かになっていたかもしれず、それを免れたのは運が良かったからに過ぎない。もう干支もひとまわりして、当時の自分の文章を改めて読み直すと、気が狂いそうになった。高校に上がりたての、色恋も知らない私が机上で百合を書いている。まあ、誰にだってそういう黒歴史のひとつふたつがあるだろう。インターネットはそういう場所だ。この文章も例に漏れない。
「大室家」の映画が来年に公開される報を聴いて、私はふいに百合への昔の熱情がたぎり、かつての傷跡をあらためた。さいわい、掲示板での私の醜態はどれもが落ちていて、書いていた二次創作のいくつかが残っているばかりだった。けいおんなんて遺物にもう誰も関心を寄せる人はいない。むかしあれほど熱中していた私も、二、三年前から連載されたけいおんの新シリーズをあまり追ってはいなかった。時代はすっかりぼちろだ。ぼっち・ざ・ろっく。私も十年遅く生まれていたら、いまごろぼちろのSSを書いてネット上で傷を増やしていたに違いない。しかしそれにしてもけいおんSSがこうまで絶えてしまうのは、自分の黒歴史がなくなったので喜ばしいようでもあり、盛者必衰の理を目の当たりにしているようで寂しいようでもあった。
「ゆるゆり」だって、今や追っている人の方が少ない。その外伝の「大室家」ならばなおさら、何せ刊行スピードがワールドトリガーよりも遅い。しかしそんな日の目の当たらない遅々とした漫画が映画になるのは、僥倖というほかない。熱心なファンが応援し続けてついに叶ったものだろう。私はあいにく「ゆるゆり」のよい読者ではなかった。作中のさくひまカップリングが好きな、にわかファンに過ぎない。素直に「大室家」の出世を祝えないのがすこし悲しい。かつて一度見切りをつけてしまった読者であるから。
百合を思うと私は自分の過去に向き合わざるをえない。けいおんSSに夢中になっていた青い春、あまりに無為でつまらないあの頃。しかしさすがに十数年の時が経って、かつての自分の稚拙な二次創作を、私は何とか致命傷を喰らいながら読んだ。
洗面所の鏡にわたしが映る。寝ぐせだらけの髪の毛。ただでさえくせっ毛なのがもっとぼさぼさだ。台所の方から朝ごはんのにおいがする。目玉焼きの音。もうじき、ごはんだよ、と呼ばれるはずだ。わたしはクシで髪の毛を急いで梳かす。むかしは、お母さんに髪をセットされていた。でもお母さんはわたしには似合わない髪形にするから、それがいつもイヤだった。かわいすぎる。それはわたしの顔に合わない。鏡のわたしと目があう。一重で細すぎる目、それから丸い鼻つづまった唇、むっくりとした輪郭に広いおでこ。かわいくない。目を閉じたまま髪の毛を整える。ごはんだよ。お母さんの声。今行く、と寝起きのしゃがれた声が出た。
服のことでは一時、思い屈した。
なにぶん中高生のころ、北海道は道東の片田舎に住んでいた人間で、チェーンの服屋といえばしまむらかUNIQLOくらいしかない。ほかにはイオンのおじさん向けのゴルフウェアか、場末の商店街のブティックくらい。こんな場所ではかえって気取ったおしゃれをする方が無粋というもの。私も地元に住んでいた中高生時分は、親が買ってきたbad boyの服を着て事足れりとしていたわけである。
それが札幌に進学すると、周りには内地の東京や大阪などといかにもシティボーイの落伍者の子息が周囲に蔓延っていて、彼らの垢抜け具合には肝をつぶした。私にとっては外行きの服が、彼らにとっての部屋着であるらしかった。私は当時、貧乏人の集まる学生寮に起き伏ししていた。さいわい貧乏人はその出生を問わず、弊衣破帽をものともしない。私もそれに勇気づけられて、高校の体育の授業で着ていたハーフパンツに下品な文句がプリントされたネタTシャツをあわせて講義に出席したりサークルに行ったりしていた。そんなふうだからもちろん女には縁のない学生生活を過ごしたわけだが、オタク仲間のうちにいるときには、皆目気にならなかった。私は文芸部という、文科系サークルの中でもとりわけ陰気な人間の集まる部活に入っていた。同じ所属の男子といえば九割九分、チェックシャツにチノパンという、いかにもな出で立ち。文芸部の姫ともいえる数少ない女子は最下層の文科系ながらきれいに着飾っているのに反して、男子連中は開き直るように、アニメTシャツや安っぽい格子の編まれた厚手のシャツを着ている。なるほどオタクの聖域だった。私も彼らを見習ってチェックシャツを好んで着た。チェックメイトともいえる仲の彼らと、そうしてオタクの集まる文芸部らしくカードゲームやTRPGに興じる。思い返せばその時間はほかの何にも代えがたいひとときだった。
雛鳥が巣立つように、けれどそんな時間空間に安穏としてはいられない。卒業を経て三三五五に、私たちは生きる空間を別した。私も一回の社会人としてつまらない生活にあくせくする。そのさなか、ふと彼女がほしいと思う。遅ればせながら色気づいてくる。マッチングアプリでもはじめようか。それがいい。始める。マッチングする。出会う。さあ最初のデートだ。私は勝負服を着る。オレンジ色のポテトチップスの包装を模したTシャツ。いやあこれはウケるだろうな。そんな自信がある。待ち合わせ場所に行く。相手と出会う。カフェに行って弾まない会話をする。そうして、ふたたびはなかった。
何度か同じような過ちをした。ネタTシャツには事欠かない私だ。黒地にプーチン大統領をプリントしたものや当時は黎明期のvtuberのファンTを着て挑戦した。惨敗だった。なにもそう、服のせいばかりではないだろう。けれど服のせいだと思うほうが、私の心に優しかった。おれのファッションセンスがないから。だからモテないんだ。ほんとうはこんなにいい男なのにね。鏡を見る。汗臭い肌着の上に襟元のよれたシャツ。ズボンは履きすぎて尻のあたりがテカっている。幸い今は情報化社会なので間違いをいつでも正せる。ちょうどそのころ、「もうミスらない 脱オタクファッションバイブル」という本が世に出ていた。「ゆるゆり」などの原作で知られた絵師の手になる表紙は、オタクの私の手に取りやすかった。買った。読んだ。頁を繰るごとにうろこが剥がれた。自分は田舎者だオタクだ、そういうふうにおのずから鎧っていた偏見を、ていねいに剝くように、その一冊は、まっとうな一人の男の服装を叙述している。これに従えば私だって、一人前になれるに違いなかった。
しかし一人前の身なりをするためには、一人前の服を着ないといけない。一人前の服は一人前の服屋にある。それはしまむらではない。イオンスタイルではない。けれど私の手元には、親から送られてきたしまむらの服か、自分でイオンで買ったポテチのTシャツしかない。やむをえずオレンジ色のシャツを着ながら、私はGUに行った。いきなり一人前の服飾店にオレンジ色で行くわけにもいかない。服を買うための服がない、なんてネットの冗談があるみたいに、服とはいつもわらしべ長者じみている。はじめからたとえばCESARE ATTOLINIの服にたどり着けるのは、よほどのボンボンしかいない。庶民は、とりわけ田舎者は、イオンモールから始まる。きみが世界のはじまり。そういう場所から着合わせだとかの経験値を積んでゆくのだ。GUに行く。店舗内に足を踏み入れて、総毛だつ。しまったここは女性服売り場だ。男物はどこだ。背に汗を垂れ流しながら徘徊する。ここか。ここだ。ようやくようやく見つける。Mサイズを探す。しかしない。76だとか84だとかわけのわからない数字ばかり振ってある。このGU壊れてるんですけど。Mサイズなら何でもいいんですけど。数字はちょっとわからないんですけど。試着すればいいじゃん、とか傍目ならなんとでもいえる。しかし試着のハードルは、服を買いなれていない人にとってあまりに高い。片っ端から数字を目視し、その平均を求める。たぶん79が中央値だ。これがMサイズなのだろう。もうなんでもいい。79。79が割り振られているならなんでもいい。そうして79の灰色のチノパンと無地の黒いTシャツを購って、どうにかこうにかまともな服屋に行くための服を手に入れたわけである。
アンジェラ・アキ「手紙~拝啓 十五の君へ~」が、ふいにラジオから流れてきて、私は泣いてしまった。
あのころのあなたはきっと想像もつかないだろう。三十路間近で、相変わらず主要なメディアはラジオ、誰もいない1dk、くだらない身辺雑記を書く中年に成り果てているこの私。何がランランランkeep on believingだ馬鹿野郎。まったくやってられねえ。いい高校に通えばいい大学に行けば社会に出れば、それでどうにかなると信じているようなあなた、あなたは。あなたは、まだ現実を知らない。知っていなくて正解だったろう。知っていたらとうに死んでいる。そのくらいの賢明さはきっと持ち合わせているはずだ。それさえも高望みだった。あなたにはいよいよ失望しました。
賢明ではないあなたは、やすやすと生きながらえてしまう。生きるだけならミミズだってオケラだってアメンボだってたやすい。どう生きるべきか。それが問題なのだ。試験みたいな正答はない。あったら少しはあなたでも、ましな人生を歩めただろうか? あなたは賢明ではないから、あなたは。
あなたは本を読む。読んで血肉になったことはあるか。なかった。くだらない自尊心ばかり凝り固まって、いざ文章を書いたらこんな品のない始末だ。あなたは本を読んだ。一行を進めるたびに先の一行を忘れて、あなたには気迫が足らない。これで生きるという覚悟がない。本だけ読んでいればどうにかなると思っている身上、あなたはあまりに軽薄で、いちばん嫌悪するものに己が成り果ててしまっている。あなた、十五のあなた、二十代になってもろくな思い出は残らないよ。三十代はまだ知らない。けれどあなたは類推できるだろう。それくらいの知性は持っていてほしい。このままだらだら生きながらえたところで、何の益もないのだと、見切りをつけてしかるべきだ。
あなたを励ます言葉を私は知らない。こうすればよかったとかああしておけばよかったとか、後から思い返しはすれど、あなたは人の話を聞かないから、無用の長物にしまうだろう。
「あなたはわたしよりお母さんを選んだの。忘れないでね」
初雪が降るらしかった。降ったらしかった。ネットニュースで知った。どおりで寒いわけだ。朝から冷たい雨がしきりに、おまけに風まで強いとなれば、そろそろ部屋にもストーブをつける時節かと思い、まぁ11月までは我慢しようと腹を括った。
・人の文体は楽しい
・自分だったらこんな風に思わないだろうな書かないだろうなということをあっけらかんと書かれると、そうなのかなあそういうものかなあって思ってしまう
・流されやすいのは美点ではない
みなさま、こんらぎ~!
象徴系vtuber、櫻子でーーーーーす!
天皇はー?
神聖ー!
ファンアートは#御真影、ファンマークは八重菊、ファンネームは臣民で、これからみんなと仲良くなっていきたいです!!!
やれやれ。
それはともかく。
言葉って排泄物だから、ただしく吐き出さないと体に失調をきたしてしまう。ハイデガーさんとかに言わせればまた違った説があるのだろうけれど。ただ僕はこの人生劇場の圏内で得た知見や偏見を大切にしていきたい。人それぞれに、うんこの気張り方があるだろう。
時には人の気張り方をまねてみたら、いつもよりいいうんこが出るかもしれない。哲学の用語でいえば止揚。アウフヘーベン。どっちもベンだしちょうどいい。
朝が
眼を耳を進化させる
鍵孔のない扉
白昼夢の回廊に
つぎ――つぎ 世継ぎ 巡れば
不埒な
四月はいちばん無情な月
今夜 あなたが下すった
ヒヤシンスの香り
後悔は
どんな言葉よりも単純な旋律
問題のないことが問題になる。そういう出だしはどうだろう。
関係を持った女性は私よりも十八上だった。子どもも三人いた。離婚は昔にしていて、べつだん新たに他の男性と
アークナイツのアップデートが終わった。
今回、実装されたのは、いくつかの誤植の修正やステータスの異動、そして何より新キャラ《ゴールデングロー》である。
この中央を陣取るピンク髪の娘が彼女だ。役職は術師。遠距離の敵に強い。かわいい。ちょうどいいかわいさ。遠目からでもわかるその肉感。生えているしっぽの手触りまでそれとなく感じられる。ほしい。
アークナイツといえば硬派なゲームで、そういう点が同じく硬派な私にも刺さって、この三月ほど熱中しているわけだが、それでも私も年頃の男の子なので、ちょっと軟派というか、かわいらしさに寄せたキャラもほしいなと思っていた。一人くらいそういう手持ちがいたほうが、我がロドスの士気も上がるだろう。
アークナイツのガチャは十連2000円。また初回の十連に限り星5以上確定である。ゴールデングローは星6の最高レアリティだが、初回十連で出ないとも限らない。何ならそれで済むのが願ったり叶ったりだ。
日頃の善行を数えた。毎日歯も磨いている。ゴミを分別して出している。えらい。なかなかできることじゃないよ。
どうにもならない文章がある。読み返して自分が何をしたかったのか思い出せるものもあれば見切り発車も目について、私はもうすこし丁寧に毎日を生きようと思った。ことばは生活。生活は誠実に編まれるべきだ。
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