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特盛チーズ牛丼温玉付き

 

 チー牛に似ている。誰が? 私が。チー牛ということばが流行ったのは一昨年くらいだったろうか、twitterかなにかでちらと目にした。私の肖像画だった。上の画像だ。ネット上に流布された当初は流行ってくれるなと祈った。しかしあれよあれよと広まり、今やスラングのひとつとして定着してしまって、ふいにこの画像を目にするたび胸の奥がざわざわとする。好い意味の単語ならば気にせずにすむ話だが、あいにく蔑称なので、いやな二つ名が自分についた思いだ。

 こうは書いてもネット上の匿名の文章、書き手の影も形もない。だから似てるとこちら側が言っても、読み手には十全に伝わるまい。しかしもし、そんなことは決してないと思うが、私の顔形を知っている者がこのnoteを読めば、たやすくうなずいてくれるだろう。乱雑な黒髪に垢抜けない眼鏡に胡坐をかいた鼻に厚ぼったい唇にいかにも不健康そうな面長によれた襟元のシャツに、どれもがどれも現実の私と合致しており、せめてもの違いはゴミみたような左頬のほくろであるが、そこを隠せば遺影に使える。瓜二つだ。

 数少ない友達の数人に、先んじて私はチー牛の画像を見せた。俺に似てない? 相手に何か言われる前にこちらから白状すれば傷は浅くて済む。男友達は、画像を見るなり似てると笑った。私も笑い返した。似てるよなあ。そうだよなあ。私は自分で傷口をほじくりかえす癖がある。

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 芥川賞の発表がそろそろだと思って調べると、明後日だった。候補者を今更に見るとほとんど知らない。みんな若い。若いなあ。

 読書を始めて少ししたころ、高校一年生のときか、文学なるものに触れようと、書店に行った。いつもはラノベのコーナーに行きつけていた。けれどその日は覚悟を決めて、当時の自分にとっては高価な文学の単行本の区画に足を踏み入れた。そしてちょうど芥川賞を受賞したての一冊が表紙を向けて陳列されていた。赤染晶子「乙女の密告」。薄い単行本で、ほかよりは値が張らなかった。中身をさっと見ると文字も大きく、これはのちのち知るがいかにも売れそうだから本にしましたという体裁の一冊、実際は売れなかったのだけれども、そんなことは初見の人間の知る由もなく、これなら読めるだろうと購った。読んだ。読み返した。ふたたびみたび読み返した。短い物語だった。どういう筋か改めて説明するのは難しかった。私を魅了したのは、その文章だった。技巧的なわけではない。読みやすいというのも違う。書き手の息遣い、誰かが何か書いたことばに必ず宿る、その人なりの切実さ。こういう文章をもっと読みたい。その当座からの収集癖で、赤染晶子の別の著作も買おうとした。あいにく絶版になった一冊があるきりだった。ネット通販で買って、堪能した。赤染晶子。お前だ。お前の文章が好きだ。もっと読ませてくれ。翌年に、雑誌掲載のものをまとめた単行本が新しく出た。やっぱりお前だ。

 赤染晶子以来、文学はこんな感じなのかと、近い年代の別の手人の手による作物に手を出しもした。次の芥川賞にはふたり選ばれた。西村賢太と朝吹真理子。「苦役列車」はよかった。「きことわ」はよくなかった。「乙女の密告」にはどちらもおよばかった。次は? 受賞作がなかった。その次は? 円上塔、田中慎弥、鹿島田真希、藤野可織、小山田浩子、柴咲友香……。私はやむなく芥川賞を遡った。といっても手に入る範囲で、高校で使っていた国語便覧を頼りに書店やブックオフで受賞作を見つけては読んだ。そのなかでは郷静子がいっとうよかった。それから毛色は違うが丸山健二、彼は今この晩年になって迷走しているけれども。それでも初期の中短篇は光っている。彼を知ったとき、私は受験生になっていた。過去問を解いているとセンター試験の小説に彼の一作が出ていた。「雪間」からの出題、その一節は奇麗だった。

 どうあれしかしどれほど遡っても、赤染晶子は赤染晶子として、私のなかで不動の一位だった。あるいは初めに手にしていたのが綿矢りさだったら? 川上未映子だったら? 朝吹真理子であったら? 宇佐見りんであったら? 私は赤染晶子にたどり着けていただろうか。わからなかった。

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 赤染晶子の逝去の報を知ったのは私が大学を出てからの年だった。はやばやと転職をして落ち着かぬ生活のただなか、その年の瀬に、ふいに知った。そうかと思った。もう読めないのか。けっきょく彼女の文章に接したのは、ずっと前の文藝春秋で、新年の抱負かなにかの短文が最後だった。読めないのか。その年次の芥川賞は二名が冠した。石井遊佳と若竹千佐子。赤染晶子を素通りして、新たにそして新たに、とりあえず候補に選ばれたり受賞したりしたから出しましたというふぜいの単行本が出版され、半年ごとに面子は変わった。商売とはそういうものだった。刷新する。過去は過去だよ。今ここが肝要なのだ。知っていた。私も商売をしながらつまらぬその日暮らしを繰り返し繰り返し、しかし赤染晶子はくさびのように私の奥深くに刺さっているから、一月と七月、彼女のことを思い出す。赤染晶子の死を報じる記事で、はじめて彼女の顔を知った。美しかった。

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 チー牛って知ってる? 私が言った。先手必勝。俺に似てない? 画像を見せた。子細を話した。女は笑った。そっくりだね。そうだろ。でも好きだよ。そっくりだもん。私は笑った。LINEのアイコンをチー牛に替えた。キモいね、と女が言った。

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