100日後に30歳になる日記(7)
◆3月26日
新聞を読んでいると、地方支局のコラムの文責に、大学時代の後輩の名前を見つけた。印象に残る名前だったのですぐに彼女と分かった。べつだん親しくはなかったけれども、顔を知っている人の書く文章を読むのは面白い。匿名の文章はそれはそれで想像力の翼を広げてどんな人かなあどんなものを食べてるのかなあと思い浮かべつつ読むのが一興、とはいえ知人の文章はこの人こんな風に書くんだとまた別の楽しみがある。
新聞の一記事ということもあり、彼女の書く文章はかっちりしていて、たとえばこの私のnoteの文章みたいな雑味は全くなくて、さすがに洗練されていた。まじめな文章は力を入れないとなかなか書けないし、力を入れすぎてもつまらなくなってしまう。私はデスクに向かってうんうんとタイピングしている彼女を想像しては、もう少し学生時代に親しくしておけばよかったなと後悔した。私は彼女が、当時住んでいた同じ寮で、芸大会とかそういう折に、女子には珍しく体を張って笑いを取っていたことくらいしか記憶がないから。どんな風な人だったのかもう少し知っていれば、また違った面白さに出会えたかもしれない。
ともあれじっさいに文章で飯を食っている彼女のすさまじさに少し、妬いた。
◆3月27日
起床。労働。帰宅。暇つぶしにVTuberを垂れ流す。最近はずっとこうだ。私はVTuberであっても逆張りの心を持っているのでここ半年ばかりは綿宮あひるを追っている。一人ぼっちの生活に、画面越しの彼女のおしゃべりを聞き流していると、なんだか一緒の空間で生きているみたいで、なんというか、こういう幸せもあっていいよね、笑わないでください。これでも私の精一杯なので。枕元にノーパソでYouTubeをつけたまま、就寝。
◆3月28日
ボルヘス「シェイクスピアの記憶」を読んだ。短篇集。名前だけ知っている作家で、いざ読んでみるとたいへん良かった。後期〜晩年の彼の作品は読みやすいものが多いと解説にあり、本書は文庫のページ組や文字サイズの大きさのおかげもあって、一時間足らずでスラスラ読めた。
wikiを見るとボルヘスは長篇をまったく書かない、短編の名手であるらしい。私はここ最近ずっと長い小説を読む気力が湧かずに、読むものといえば簡単な短い話に終止している。ボルヘスのほかの小説や詩集、評論など、面白そうだし、数もそう多くないので、読書に必要な筋肉のリハビリに、他の著作も読んでみるかな、となった。しばらく本を読まずに過ごすと、本の読み方を忘れてしまうので。
◆3月29日
映画「オッペンハイマー」を観ようと思ったが座席購入のとき案外観客が多くて、へそ曲がりな私は別の映画にしようと決めた。「ゴーストバスターズ」の新作とかがいいなと思ったが時間が合わない。やむを得ずよく知らない予告も見たことがない映画「美と殺戮のすべて」を観ることにした。
ナン・ゴールディンという写真家のドキュメンタリー。生い立ちと(性)遍歴、それから社会活動について。前情報ゼロで行っても心揺さぶられた。小林製薬がなんかやらかしている現状を思えば、ちょっとタイムリーな内容かもしれない。微量ながら社会正義がなされてゆく物語は、このクソッタレな毎日をグズついて生きている私を、勇気づけてくれる。
◆3月30日
朝、外に出て息を吐くとそれほど白くならなくて、歩道も車道も雪解けで潤い、朝日が反射して眩しい。小憎たらしい冬もようやくくたばったか。冬用のコートで歩くのは少し不格好で、家に引き返して薄手のを着直した。朝食がわりにコンビニで麻婆豆腐丼を買う。麻婆豆腐が苦手な人間を見たことがない。いないと思う。万能食だと思う。ウキウキした気分でまた家に戻りvtuberの配信を見ながら一気呵成に食らう。綿宮あひるの雑談は最高なのだ。辛味で体が熱くなり、食べ終わってちょっと経つと熱が引いて肌寒く感じられたので、ストーブを焚いた。ストーブもまた来る冬までそろそろお蔵入りかなと、しんみりした。
◆3月31日
すき家の値上げのニュースを知って、値上げ前に駆け込みで行った。
期間限定メニューが出ていたのでそれにした。まあ、1度ならいいかなという味だった。ちなみにすき家でいちばん美味しい牛丼は高菜明太である。
それにしても最近は猫も杓子も値上げ値上げで、そのくせ給料はちっとも上がらず、保険料やら何やらのデバフは相変わらずで、そのうえ今度は子育て支援金といって、金持ちの子息のために金を払わなければならないらしい。今の世の中で車と子どもは嗜好品なので。まったく、やりきれない、世相だね。しかしまあ、明日からは年度が変わって4月。少しはなにか前向きなニュースがあればいいと願う。
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