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『シュミじゃないんだ』

作家である三浦しをんの著作に『シュミじゃないんだ』というエッセイがある。

たまたまそのころ毎月買っていたWingsという漫画雑誌で、そのエッセイが連載されていて、何となく読んでいた。内容は何というか熱くBLへの愛を語るもので、免疫がない方は「えっ…」てなる感じ。
ただこのエッセイの『シュミじゃないんだ』という題名の意味に言及した部分に、いたく共感した。
彼女にとってはBLは仕事ではないという意味では趣味なのだが、それがないと生きていけない、いわゆる「生きる証」「人生の栄養」であるから「趣味」とかそんな言葉で語れるものじゃないんだ!という(笑)
 
人によってこの「シュミじゃないんだ」の対象は色々だ。
でも、私の読書やフラメンコなんかも、確実にコレだ。
他人から見れば、何故そんなものに大金(家計を圧迫しない範囲でね!)と時間をつぎ込むのか理解できないだろう…
もう本を読めないと言われたら、自分で書き始めるかもしれんし、怪我や病気でフラメンコを踊れなくなったらカンテ(フラメンコの唄)を習い始めると思う。
申し訳ないが「趣味」という言葉が持つ意味が軽すぎるように感じて「シュミじゃないんだ」となるのがよく分かる。これをやめるのは仕事をやめるかどうか、どうかしたらそれ以上に人生において重い意味があって、単に生業じゃないから、趣味って言葉で表現するしかないんだけど…誰かこれを表す日本語を作ってくれ!
そしてこの「シュミじゃないんだ」がある人は強い。自分て何だろうとか、自分らしさって何だろうとか悩むことが相対的に少ない気がする。この「シュミじゃないんだ」が「自分は自分!で他人は他人!」という人との違いを肯定する元になっている気がする。
 
自分を形作る価値基準を大事にし、肯定して生きて、それを否定する人からは遠ざかる。
案外これが出来ずに苦しむ人は多い気がする。
シンプルに理屈じゃなく、自分が好きな物事は大事にして、それを好きな私を大事にしてくれる人と一緒にいよう。

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