見出し画像

~お調子者少年が治療家になるまでの笑いと涙の物語~

『しばくぞ!こらー!』
『何ゆうとんじゃ!ボケー』
という言葉が日常で飛び交う!
そんなコテコテの南大阪河内育ち!
(地元ではこれがスタンダード。怒ってではなく、笑って言うのですw)

私の名前はほまれ先生こと『ニシノタカヒロ』と申します。
治療院を17年営んでおり、国家資格を持っている柔道整復師です。

治療院を構えて独立してから17年。
これまでに5万人を超える患者さんと向き合い、健康をサポートしてきました。
そして、コロナ禍という未曾有の状況を乗り越える中で、副業やネットワークビジネスにも経験してきてます。
その副業やネットワークビジネスでタイトル表彰され、多くのコミッションも頂きました。
ただ、ビジネスを通じて、学び以上に多くの課題にも直面してきた、、、
治療家目線から皆さんにお伝えできることがあると思いこのブログに至りました。

このブログを立ち上げたのは、
単なる情報発信のためではありません。


「何のためにこのブログを書くのか?」
それは、読者の皆さんが迷いや不安を解消し、自分自身の道を切り開くためのヒントを提供したいからです。

「どんな目的で?」
ネットワークビジネスに関心がある人や副業を検討している人、そして自分の人生をより良くしたいと願う人たちに向けて、リアルな経験と実情を伝えることを目的としています。

「どんな価値を提供するのか?」
このブログでは、ネットワークビジネスの魅力だけでなく、その問題点やリスクにも正直に触れます。
そして、治療院経営者としての視点や、独自の道を歩んできた実体験を基に、皆さんがより良い選択をするための道しるべを示します。

私の物語を通して、少しでも皆さんの心に響くものがあれば幸いです。
ここから始まるストーリー、
どうぞお付き合いください。


いきりたくて背伸びしたかった幼少期

私には...父親がいなかった。顔も知らない…
私の記憶の中に父親という映像は全くありませんでした。

そう聞くとたくさんの方々が「大変でしたねー」「辛かったでしょう!」と言ってくれます。
大人になった今だから同じように他人を見て思うかもしれませんが、
当時、いないことが当たり前だった私は何とも思ってませんでした。

加えて振り返ると、
ありがたいことに私の実家は
裕福な家柄であったので不自由がなかったからです。。。

5歳近くの神社にて七五三まいり


当時、夏休みの旅行先と言えば白浜アドベンチャーワールドが定番でしたが、小学生で海外旅行に連れていってもらってましたから。→(プチ自慢www)

今考えると本当にありがたい家庭で過ごしてきたと思います。

小学4年生サイパンで調子のってるw

幼少期の私は超がつくほどのお調子乗り!!
(ちなみに今も…www)
実際は気が弱く、超ビビりなのにそれを隠そうと偉そうにしている!
今考えると友達が多いように思っていたけど…
嫌われていたかも知れません。
(ドラえもんでいうところジャイアンだったかも)
そういえば親友という存在はいなかった…
気もします…w

小学校時代、気が弱いのがばれていじめられたこともありました。
(そんなにヒドイ、いじめではなかったですが…)

無視されたり、罵声を浴びたり、はみ子にされたり…
その時を今思い出すと…(辛かった…が本音かも)

涙が出るほど…
 ・
 ・
 ・

は…ウソやけどw
(でも現実逃避はしていたかも知れません。)

親戚や祖母のところにいくと調子に乗れる自分がいる。
そんな逃げ道はあったので、問題児にもならないで育つことができた。

そう...
わたしは常に恵まれていたと思います

======================
子どもの頃はふとした出来事でいじめられっ子がいじめっ子に。。。と
パワーバランスが入れ替わることがよくありますが皆さんもそんな経験してませんか?
======================

中学生になり、引き続きお調子乗りだったので
憧れは『ヤンキー』

いきりたかった。
調子乗りたかった。
(実際は、ビビりたおしでなれずのわたし…w)

小学生時代ミニバスで少しうまかったのと
漫画スラムダンクが流行っていたのをきっかけで
ハマったのは…
『バスケットボール』
元々運動センスはあったようで
マジでうまかった!
(自分で言うのもなんですが三井くんですw)

今の体型から想像できないですが…

夢でなければ…w

○○中学の4番、あいつは上手い!!』と
バスケをしている市内の同級生がいない位になったのです。
結局は小さい市レベルの話でしたが…w

嬉しかった、楽しかった。
人に認められることが…
承認欲求のかたまりだったのかも知れません。
そんな中学校生活でした。

初めての挫折

そんな私に挫折というものが…
公立高校不合格』という現実。

合格発表ってどんなイメージですか?

(こんなイメージだと思います。)
わたしの不合格を知った経緯は…
合格発表の当日、ドキドキして向かっていた道中…
高校の玄関の門を入った直後に前から歩いてきた同級生が真顔で

タカヒロ!お前の番号ないでー!
と言われたのです!!

ビックリするでしょう!w

はぁ?何言ってんの?』と
絶対冗談だと思い掲示板にたどり着いて見上げて数字を探してみると…

(1012、1013、1014、1016…)

1015がと、と、とんでる!?

”ない…”  
”ほんまにない…”  (´;ω;`)ウッ… 


先ほど学校玄関の門で会った同級生は紛れもなく
本当のことを言っていたのです!

”いやいや見間違いや”と言い聞かせ、
もう一度掲示板を見てみると

”やっぱりない…”  (´;ω;`)ウゥゥ

それと同時に目の前に飛び込んで来たのは
先ほど不合格を言ってきた同級生の番号も…

”ない…”w

なんで先言うねん‼…
と怒りがこみあげてきたのですが…
(あいつも落ちてるやんけ・・・)
と思うとなんだか安心したのを覚えてます

でもあの時は本当にショックでしたよ~
今ではネタにしてますけどね…w

ご相談はこのLINEからお受けしております。お友達追加してくださいね。
ご連絡お待ちしております。

男子校で花開く!高校時代…

高校受験失敗の大ショックから立ち直りができないまま嫌々いった男子校…

『あなたの男子校イメージはどのようなことを想像しますか?』

・むさ苦しい
・臭い
・気持ち悪い
・汚い

などでしょうか?w

でもね。
意外に…
面白かったのです。

女子がいないと気を使わなくていい、
カッコつける必要性がないので
好きなこと言って遊びまくってました。

朝まで単車でウロウロ、友人が車の免許をとってからは色々なところに行ってナンパに明け暮れました。
生まれて初めてのナンパは超緊張!

なのに…

普通に言葉が出まくる自分にびっくりしたことは
今でも忘れません。w

うまくいかないのは当たり前で数をこなさないといけない!
ということ学んだのもこの時から⁉
かも知れません。w

そう!のちに『コミュニケーションオバケ
と言われるようになったのは、このナンパから
始まったと言っても過言ではありませんw

高校時代の修学旅行

そして親父がいない私にとって男として成長させてもらえたのも
この男子校生活があったからこそだと今思います。

まぁ
私の高校生活に『勉強』の2文字はなかった。
滑り止めで受かった学校だったので勉強しなくても
難なく卒業できたのです。

(ありがたやー)

勉強なんてしていないので大学なんてもんにはいかず…
(ではなく…いけず…w)

進路はというと
行きたい医療の道もあったのですが…
知り合いもお金もなく、諦めたのです。

わたしは恩師の薦める
福祉の専門学校に進学しました。

続く…

======================
目次
第1話 ~お調子者少年が治療家になるまでの笑いと涙の物語~
第2話 ~『公務員』という安定を手放し起業で成功!人生を変えた大胆な選択とは?~
第3話 ~ネットワークビジネスでの失敗が教えてくれた“ビジネスの本質~

======================
今あなたが直面していることにいつでもご相談に乗ります。
私も同じ経験をしているからこそ……
ひとりで抱えないで……
ほまれだけはあなたの味方です!

ご相談はこのLINEからお受けしております。お友達追加してくださいね。
ご連絡お待ちしております。

いいなと思ったら応援しよう!